霾(つちふる)

 昨日、会社の重役を囲んで雑談をしているときのこと。
 重役が「最近、黄砂がひどいよね」と言う。
 確かにこのところ、太陽が黄色くなるくらい、大陸から黄砂が押し寄せている。屋根のない駐車場に停めてある車などには細かい砂がびっしりと付いていた。
 そうすると該博を自認する幹部がこう継いだ。
「そうですよね、東京でも降ったらしいですね。聞いた話に寄れば、黄砂は戦後に始まったらしいですよ」
「あ、そうなの」
 違う。黄砂が戦後に始まったなどということはありえない。件の幹部が、知識を開陳していると、余程のことがない限り口を挟まないのだが、さすがにその情報は違っている。訂正しておかないと重役があらぬところで恥をかく。
「黄砂は戦後に始まったわけではありません。戦前も江戸時代にもありました」
「ほんとかよ?」
 その幹部は、自分の意見が否定されたので、むっとしてそう突っこんでくる。
「黄砂は江戸期には土降(つちふる)と言って、俳句の季語にもなっています」
 ここまで説明すると、自分の知識が不利だと気がついたのか、幹部は話を別の方向に変え、楽しい雑談は続いていくのだった。

 土降、霾とも書く。春の季語である。霾の同義語として、蒙古風、霾天(ばいてん)、霾風(ばいふう)、つちかぜ、霾晦(よなぐもり)などがある。有名なところでは、芭蕉の「奥のほそ道」に《雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分……》と出てくる。
 もっとさかのぼれば、杜甫の詩まで行きつく。
《已入風磑霾雲端》というのがあって、上記の芭蕉の文もこの詩に依る。「吹き付ける風にさらされ、雲の果てから吹いてくる土混じりの風に入ってしまった」とでも言っているんでしょうか。
 そんなわけで黄砂はずいぶん昔からあったというお話でした。