罪なき者まづ石を擲(なげう)て その1

 ヨハネによる福音書第8章にこんなエピソードがある。
 イエスが神殿の境内で、姦通の罪に問われた女が民衆から責められていた。人々は言う。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せとモーセは律法の中でお命じになられています」
 イエスは言われた。
「あなたたちの中で罪をおかしたことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」

 生まれてこのかた、ただの一度も罪を犯したことのないという清き者だけが石をとるがいい。こう言われて、異を唱えることのできる人物はまずいないだろう。ワシャなんか罪だらけで困ってしまうほどだ。アーメンソーメンヒヤヒヤソーメン。

 冒頭の話とは関係ないが、このところ話題にしている焼肉チェーンの社長のことである。4人目の死者が出て、これはまずいと思ったのだろう。昨日の記者会見では、その前の強弁会見から一転し、いわゆる「引き気味」の話し方で、苦渋に満ちた表情をつくって会見してみせた。
「現在、治療中の方をふくめ、出来うる限りのことを、させていただきます。ほんとうに、申し訳ございませんでしたぁ。すいません。ほんとうにもうしわけございませんでした。ほんとうに申し訳ございません」
 上記のカギカッコ内がその発言で、彼は読点ごとに区切って、彼なりにゆっくりと話している。ただ、話すときに首を大きく縦に振るのがクセのようで、それは見苦しい。表情も作り過ぎていてよろしくない。もっと、動かず、責任を痛感しながらも毅然とした態度で謝罪するというのがよかろう。声もすこし高すぎる。もっと腹から声を出せ。
「ほんとうに」も3回も立て続けに言うと鼻につく。言うなら、ここぞというところで1回だけつかう、そうしたほうが真実味が感じられる。
 そして床に頭をつけた土下座だ。前の会見の印象が悪すぎるのと、もちろん若いが故の軽さも手伝って、まわりはこの社長のやることに胡散臭さを感じている。責任を他に転嫁するためなら何でもやるだろうと、すでに思われているのだ。そのことを考慮すれば、この「頭を床にこすり付ける土下座」はやり過ぎだった。派手な行動に終始するのではなく、真摯さが全面にでるような演出が必要だろう。
(下に続く)