自衛隊のみなさん、ありがとう

 昨夜、午後9時過ぎに携帯が鳴った。自衛隊の友人からだった。実は3月中旬に呑む予定を立てていたのだが、東日本大震災の緊急出動でドタキャンされていた。その穴埋めの連絡だった。
 居酒屋で数人の仲間と軽く呑んだ。そこでいろいろな話が出た。
 彼は、愛知県内に展開する某部隊の隊長である。3月11日の午後には、官邸からではなく内々で出動準備に入ったという。そして3月13日には福島県北部から宮城県南部に展開している。さすが自衛隊、動きが速い。地震の2日後には前線本部を現場に構築していた。
 そりゃぁ愛知県で呑んでいる場合ではないわさ。

 それから1カ月、部隊長として陣頭指揮を執り続け、3日前にようやく愛知に戻ったと話す。
 彼の部隊の主たる任務は生存者の捜索だった。しかし、発見されるのは遺体ばかりで、生存者2名に対して死者は70に及んだ。そして、残念ながら、津波に翻弄された結果、直視できないような遺体も多くあったという。
 自衛官とは言え人の子である。普段は我々と同じ普通の生活をする普通の市民である。彼らがその手で遺体を瓦礫の下から、損傷しないように丁寧に引きずりだして、整えて、遺体収納袋に一体一体納めていく。そういう作業に日々従事してきたのである。
 彼は、防衛大学校を出た幹部であり、その責任感や意志の強さは、さすが武士(もののふ)といったタフな男である。その男がこう弱音をはいた。
「夜ね、シュラフに入って目を閉じるんですが、脳裏に昼間見たご遺体の状況が浮かぶんですね。やはり何日かは眠れない夜が続きました」
 かれは中佐である。災害救援に強い使命感を持っている上級士官ですらそうなのだ。一般の兵がどれほど精神的、肉体的なダメージを受けながら作業を続けているか想像してほしい。
 彼は幾葉もの現場写真を撮ってきた。もちろん、マスコミや視察関係者が撮るような上っ面だけの写真ではなく現場の生々しい写真である。残念ながら、いくら自衛隊シンパと言えども、一民間人でしかないワシャには見せてはもらえない。きっととんでもないスクープ写真があるのだろうが、ホントに見ていないのでわかりません。ホントにホントです。ホントを3回も続けると、かえって怪しいですか(笑)。
 友人を含めて、被災地で連日連夜、懸命に働いている彼らに対して最大限の敬意を表するものである。因みに呑み代は、銃後の民間人が払いました。