昭和62年の早春

 先日、友だちと話をしていて、「昭和62年の春」のことが話題に上った。あの年は春が早かったらしい。思い立って、昭和62年の手帳を繰ってみる。手帳の初めからスキーの予定ばかりが書いてある。そうか、あの頃が一番スキーに狂っていた時期だった。
 昭和61年の末も末、仕事納めを終えるとその足で仲間と岐阜のスキー場に向かった。スキーの師匠がそこで民宿をやっており、年越し合宿をするのが毎年の恒例となっていた。だんだん思い出してきたぞ。そうだ、あの年は確かに雪が少なかった。
 その時のスキー合宿は特にハードだったなぁ。師匠が奥さんとうまくいっていなかった。それが原因かどうか分からないが(笑)、とにかく指導が厳しかった。そして、やっぱり雪のコンディションが祟って膝を痛めてしまった。
 今でも天気が悪くなる前なんかに、時折、左膝の古傷が痛む。だからワシャの膝は「半井さんいらずの膝」と呼ばれている。
 ページを繰ると、1月の下旬から2月にスキーツアーの予定が2つ入っていた。このツアーは自分たちで企画していたものだ。いやー、昭和62年は、仕事そっちのけで遊んでいたんですね。40人ものメンバーを募って、信州方面のゲレンデに夜を徹して走っていく。若かったなぁ。その準備やら、決行やらで、ほとんど眠らずに飛び回っていたという記憶が残っている。
 でも、知らず知らずに無理が重なっていたらしく、3月に仲間と訪れた岐阜のスキー場で倒れてしまった。2つのスキーツアーの実施で疲労が蓄積されていたのだと思う。
 
 その年は春が早かった。3月の中旬には桜がほころび始める。そうなると山の雪も急速に消えていき、短くあわただしいワシャのスキーシーズンも終わった。スキーに行かずに養生していたのがよかったのだろう。桜が満開になるころには、膝の痛みも薄れ、体調もよくなっていた。

 およよ、手帳の3月21日のところに「〇〇先輩結婚式 岡崎出雲殿」と記してある。あの先輩の結婚式……あれが昭和62年だったのか。国道248号沿いの式場だ。先輩がうれしそうな顔をしていたっけ。だんだん思い出してきた。
 ただ、その日に桜が満開だったかどうか、記憶に残っていない。友だちの話によれば、その日、岡崎公園の桜は満開だったらしい。しまった、桜の名所の岡崎公園に寄ればよかった。時折、岡崎公園の中にある会館では、結婚式が行われる。たしかあの日は大安だったから、もしかしたら桜の花びらが舞い散る中で、素敵な花嫁に出会えたかもしれない。