五六豪雪

 記録的な豪雪が日本を襲っている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130224-00000602-yom-soci
 ワシャが強烈に記憶している豪雪は、昭和56年の「五六豪雪」である。この時は、福井市で6mを超える積雪があった。死者も133人を出したとんでもない豪雪だったことを記憶している。
 この時期、ワシャは岐阜と福井の県境にいた。当事、スキーにはまっていて、お気楽な学生ということもあってシーズンに30日くらい山に入ったものである。ワシャのホームグラウンドは奥美濃の鷲ケ岳スキー場。先輩がそこのスキースクールのインストラクターだったので、足しげく通っていた。
 その先輩、スキー場の麓で民宿を経営していた。だからシーズンになると、そこにもぐりこんだ。繁忙期は、民宿の手伝いもしていたので、ほとんどロハで世話になったものである。

 昭和55年の12月中ごろだったと思う。
 午前4時、その朝は愛知県の三河地方でも雪になっていた。当時、乗っていたのはサニーハッチバックSGX。それにスキーの板を3本のせて、後部シートには家財道具一式と言った方がいいほどの資機材を詰め込む。道路には雪が積もり始めている。雪道を走るのは大好きなんですね。「ヤッホー!」てなもんですわ。スパイクタイヤで、雪の国道1号を疾駆するのは最高だった。今では禁止になってしまったけれど、スパイクタイヤは現在のスタッドレスなどと比べても格段にグリップがいいと思う。凍った路面をよく噛んでくれた。
 早朝ということもあるし、今と比べれば車両も少なかったのだろう。自宅を出て、2時間も走れば郡上八幡に着く。ここに大きなドライブインがあるので、一息いれる。なにがあるか判らないので、とりあえずうどんをすすっておく。ここからが本格的な豪雪地帯に入る。一旦、疲労を払っておかないと危ない。とくにこの日は、ずっと雪が降っているから視界も悪いし、雪が積もり過ぎて、道と路肩の区別がなくなっている。一面モノトーンの危険な世界だ。
 郡上八幡からさらに1時間ほど長良川をさかのぼれば先輩の民宿がある、はずなのだが、雪が多すぎて、集落ごと雪に埋まっている。風景が一変しているのだから、道の曲がり具合とか、玄関先で雪かきをしているオジサンの顔を確認しながらトロトロと民宿街を行く。
 道を進めば、なんのことはない先輩が民宿の玄関先で、車を掘り出しているところだった。
「おうワルシャワ、いいところに来た。お前も手伝え」
 ということになって、朝から雪下ろしの仕事をさせられるはめに。うどんを食っておいてよかった。
 民宿街からスキー場までは、林道のような細い道をあがっていかなければならない。もちろんワシャのサニーでも行ける。しかし、先輩のジムニーのほうががぜん有利なのだ。
 なんだか楽しいスキーの話になっているが、この時のスキーはそんな生易しいものではなかった。この後、ワルシャワは大変なことになるのだが、それはまた明日にでも。