(上から続く)
さて、本日、1月20日のことである。この日は義経にとって少し因縁のある日と言ってもいいだろう。
義経の従兄弟に木曽義仲という武将がいる。稀代の策士である後白河法皇に操られた悲劇の人である。後白河法皇の密命を受けて平家を討伐したにも関わらず、これまた後白河法皇の命を受けた義経に、寿永三年(1184)一月二十日、近江粟津ケ原に追い詰められ敗死する。
以降5年間、義経主従は、やはり後白河法皇の追討の院宣により、全国を追い回され、陸奥国衣川で壮絶な最期を迎える。しかし、寿永三年の今日の時点では、そんな己の運命が待っていようとはつゆほども知らなかった。その凋落のしかたがドラマになり、庶民の涙を誘うのである。
ワシャも御園座で涙を絞ることにしようっと。