木柾はたまらぬ その1

 以前に日蓮宗の葬儀の話を書いた。
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=427365&log=20101126
《これが面白かった。面白いと言っては仏様に失礼かもしれないが、葬式を飽きずに見られたのは初めてだった。それほどまでにエンタテイメントな葬儀だった。》
 と書いたが訂正させていただく。

 昨日は朝から職場にいた。午前中は自席でシコシコと研修で話す原稿を作っていた。軽く昼食をとって、午後は会議室にこもり予算の編成作業に追われる。午後4時半をまわった頃だった。携帯が鳴るではあ〜りませんか。打ち合わせを中断して電話に出ると、叔父だった。
「5時から、中陰忌(ちゅういんき)法要だぞ」
 と、言われた。ありゃー、忘れていた。先月の21日に叔母が亡くなっている。今日(昨日)は12月4日だった。(因みに中陰忌法要とは、二七日(ふたなぬか)14日目の追善法要のこと)
事情を説明して、打ち合わせを中断し、大急ぎで叔父の家にむかい、なんとか間に合った。
そして法要は午後5時ぴったりに始まった。奥の8畳に祭壇が設けられ、その前に坊主が坐っている。客は8畳二間に並べられた座布団に適当に散らばっていた。身内ばかり15人程度の淋しい法要である。
ワシャはというと、身内の中でも不信心なばちあたり男だが、仏様と近い身内なので前のほうに押しやられ、坊主の後に坐らされた。
 これがいけなかった。読経が始まると坊主は木柾(もくしょう)、他の宗派で言うところの木魚だが、これをテンポよく叩きはじめる。この音がかなり甲高い。位置的に木柾に近いこともあって、叩くたびに鼓膜にキンキンと響く。これがたまらない。疲れている脳を直接叩かれているようで、ついつい耳をふさいでしまう。
(下に続く)