三遊亭円朝 その2

(下に続く)
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』に円朝が出てくる。明治の外交官小村寿太郎の挿話の中にである。
《あるとき、大隈は自邸で盛大な晩餐会をひらき、元老、大臣、次官、局長といった大官連中を招待した。
その席に、落語家の円朝が余興をやるためによばれ、酒席の末席に侍った。
正面には、枢密院議長の伊藤博文がすわっている。伊藤が、
円朝、盃をやろう」
 と、左手をあげた。が、末席の円朝は身分を考えて恐縮し、ひとのかげにかくれ、頭を下げたまま前へ出ようとはしない。》
 その遠慮する円朝を見かねて、若き小村が「居並ぶ大臣たちは替えが効くが、名人円朝の替えはないから、お前の方が貴重なのだ。遠慮することはない」と放言した。
 小村が長老を長老とも思わない、生意気な撥ねっ返りの若者だったと司馬は言いたかったのだが、この際、小村のことなどどうでもいい。問題はこの場面の円朝である。円朝は本当に「身分を考えて恐縮し」隠れていたのだろうか。
 ワシャには違うような気がしてならない。
 この挿話が、明治21年の話なので、円朝50歳、すでに落語家として大成し、作家としても高く評価されている。それにバリバリの江戸っ子だ。幕末に活躍した山岡鉄舟など江戸の知識人とも交流がある。
「草深い長州や薩摩から出てきた野暮天などなにほどのものか」
 という気概もある。
 円朝の言動を見るに、身分を考えて恐懼していたのではなく、田舎者の顕官たちを舐めていたのではいか。
 どれだけ位人臣を極めようが、「こちとら公方様のお膝元で水道の水で産湯をつかった江戸っ子でぇ。伊藤あたりの注す肥くせえ酒が飲めるわきゃねーだろ」という心境だったと思う。
 併せて、当時、34歳でようやく翻訳局長になった小村が、訳知り顔で「円朝、出るのだ」とやった時には、さぞや腹が立ったことだろう。後に日露戦争をまとめ上げる名外交官も、大円朝の心境を慮るところまでには、成長していなかった。
「日向飫肥産がよしゃーがれ」
 円朝の愚痴が聞こえてきそうだ。ワシャはそう読む。どうですか司馬さん。