死生観

「人間はよく生き、よく死なねばならぬ。それだけが肝要で、他は何の価値もない」
 オゴタイ・ハーンの言葉である。司馬遼太郎の『草原の記』で知った。

 今月の『新潮45』の特集「死ぬための生き方」がこの言葉を冒頭に持ってきている。没後20年だし、司馬さんをマクラにすると特集自体が引き締まるんでしょうね。でも内容もなかなかよくて、橋本大二郎氏、加藤廣氏、養老孟氏、高田明氏など、生き方の達人たちが自らの体験を披露してくれている。そんな長老に紛れて、アル中の編集者中川淳一郎氏も奇行……間違えた……寄稿している。
 中川氏、『「仕事ごとき」で身を滅ぼすな』と題し、博報堂勤務の時代に同僚を突然死と自殺で亡くしたエピソードを分析して「仕事ごときで」と言う。仕事はカネと読み替えてもいい。
ワシャの周辺でも先週50代の働き盛りが突然死しているので他人ごとではなかった。だから真剣に中川氏の文章を読んだ。
 
 特集の冒頭に「よく生きよ」を持ってきている以上、この特集は「よく生きよ」を推奨している。かのソクラテスだって「一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである」と言っている。中川氏の盟友の勝谷誠彦さんの座右の銘でもある。
 だけどね、「よく生きる」ってのが日々漫然と生きているワシャにはもうひとつよく解らない。死生観は、人それぞれだし、それに関する偉人たちの文献も無数にある。それらをすべて確認している間に死んでしまう。
 困った時の司馬頼み、『草原の記』のなかで、司馬さんはオゴタイの口を借りてこう言っている。
「財宝がなんであろう。金銭がなんであるか。この世にあるものはすべて過ぎゆく」
「永遠なるものとはなにか、それは人間の記憶である」
 そんなものでしょうかね。解ったようなわからないような。そうだ、今日、年一読書会があるので、そこで議題に出してみようかなぁ。