徳川美術館

 昨日、昼から名古屋にゆく。仕事の関連もあってちょいと調べたいことがあったからである。相変わらず暑い日だったが、有意義な午後になった。同行していただきましたHさん、ありがとうございました。

 さて、調査の話だが、ワシャは故あって徳川家康のことを調べている。そのわけは、国家機密に属さないけれど、企業秘密(これでも大げさですが)くらいのことには当たりそうなので、とりあえず言いません。
 でね、今、名古屋の徳川美術館で「大名古屋城展」をやっていて、そこに徳川家康関連の資料が展示されている。平成20年に発見された「徳川家康画像」も見ることができた。う〜む、家康の特徴をよくつかんだ典型的な画像である。
 関ケ原合戦以降に清須40万石に封ぜられた家康の四男松平忠吉(ただよし)の画像もあった。清須城主になって7年で、関ヶ原の古傷から発病し28歳で病没している。若くしてなくなったためだろうか、画像の面差しも細く白く弱々しい印象さえ受ける。
 その他にも、尾張徳川家の祖である徳川義直や、その傳役として絶大な権力をふるった平岩親吉(ちかよし)などの画像があった。
 また、十四代目の慶勝(よしかつ)が結構な趣味人で、当時、最先端の写真撮影技術を習得して、名古屋城などの写真を大量に撮っている。これが江戸期の名古屋城を知るうえで、たいへん貴重な資料となっている。

 展覧会の最終コーナーに掲出されているパネルが衝撃だった。その写真は昭和20年5月14日に撮影された「炎上する名古屋城天守」である。350年も前に加藤清正らの手によって造られた名城がたった一発の焼夷弾によって灰燼にきした。これがわからない。アメリカ人の頭には、文化とか伝統といった概念はないのだろうか。アメリカ兵の眼下にあるのはアメリカという人口国家の歴史よりさらに古い文化財なのだ。
 日本全土の文化財を焼き尽くしたアメリカ人と、バーミヤンの大仏を破壊したタリバンとどこがどう違いのだろうか。名古屋城を焼いた国に正義などあるはずがないと思った。

 その後、金山にもどってプチお食事会。「鶏飯金山バード」
http://r.gnavi.co.jp/n203302/
のつくねは絶品でしたぞ。ぜひ、お試しあれ。

 そんなこんなで楽しい半日だった。めでたしめでたし。