対馬丸という悲劇

 いやー、ついに書庫(物置ともいう)に戻ってまいりましたぞ。マッカーサーがフィリピンに帰ってきたようにうれしい。う〜む、周囲を見渡せば「本本本本本だらけ〜」なのだ。でも、これでいいのだ。手を伸ばせばすぐにレファレンス本に当たる。この感覚は久しぶりじゃ。7月2日以来だから、実に51日ぶりのことになる。そう思えば西に開いた窓から見える庭の木々も「お久しぶり」とささめいているようである。ようやく、本来のポジションに収まったという感じでしょうか。
 しかし、新しいパソコンの使い勝手は良くない。手がキーボードに慣れていないせいだろう。今も「キーボード」と打つところを「キーボイ…」と打ってしまった。

 そんなことはどうでもいい。今日の話題は「対馬丸」である。
 1944年8月20日、多数の疎開児童を含む1788人の民間人を乗せた日本郵船所属の対馬丸が沖縄を出港して長崎に向かっていた。8月22日夜、この船がトカラ列島の悪石島沖合でアメリカの潜水艦「ボーフィン」に捕捉されてしまう。夜とはいえ、潜望鏡に映る船影はあきらかに民間船のものである。軍艦と取り違えようもないのに、「ボーフィン」は民間船に向けて3本の魚雷を発射した。このため学童700人を含む1500人が死亡した。
 アメリカでは、この大虐殺をおこなった潜水艦を「真珠湾攻撃の復讐者」として顕彰をしているんだとさ。
 いたいけな子供たちを海の藻屑にすることがアメリカでは正義のようだ。アメリカが絶対正義、日本が絶対悪とする「真珠湾攻撃」だって、宣戦布告の通牒をめぐる情報戦に日本が敗北した結果であるという説もあるくらいだ。国と国との利害が高じて行わる戦争という外交行為に明確な正邪があるわけがない。
 でもね、少なくとも、非戦闘員を殺戮する、とくに戦力にならない子供を殺す行為は、どう考えても悪である。この対馬丸攻撃は間違いなく悪であり、アメリカが正しくない証明と言っていい。
 奇しくも今日は「韓国併合条約」の締結した日でもある。この事案についても、客観的な検証がなされるべきであり、一方が完全に善でもう一方が絶対に悪などということは国際政治ではありえない。そのあたりについても冷静に歴史を見つめなおすということが必要だと思う。