大府をうろうろ

 大府市で「第51回愛知県消防操法大会」があったので、消防団が好きなワシャはのこのこと出かけた。西は稲沢市から東は東栄町まで県内39の団が大府に集結し、日ごろ鍛えた消火技術を競うのである。結果は小型ポンプの部優勝が「豊田第3方面隊」、ポンプ車の部が「豊明消防団」だった。小型ポンプの部で1年前から訓練を続けてきた「新城消防団」は0.5点差で涙を飲んだ。
 朝から大会を眺めていて、どうも尾張より三河の団のほうが勢いがあるような印象を持った。大会終了後に結果表で確かめてみると、確かにワシャの印象は当っていた。小型ポンプの部では入賞7チーム中5チームが、ポンプ車では8チーム中4チームが三河の団だった。39団中16団の三河勢が、15の賞状の内9枚を得ているのである。4割の三河が入賞の6割を占めたのだ。

 司馬遼太郎徳川家康の生涯を描いた『覇王の家』の冒頭に三河人を評してこんなフレーズがある。
《ただ国人が素朴で、困苦に耐え、利害よりも情義を重んずるという点で、利口者の多い尾張衆とくらべてきわだって異質であった。犬のなかでもとくに三河犬が忠実なように、人もあるじに対して忠実であり、城を守らせれば無類につよく、戦場では退くことを知らずに戦う。》
 三河は山深い故に兵が強悍で、尾張は商業が発達したために兵が弱く、「三河兵一人に尾張兵三人」とまで言われている。

 この大会には県下のおもだった市は大方参加している。しかし県下最大の6,700の団員を擁する名古屋市が参加していない。小さな市町村とは格が違うということなのだろうか。あるいは尾張兵の惰弱ということなのだろうか。

 せっかく大府市に来たので町を散策しようと思い立ち、大府駅北東に開けた若草町から桃山町界隈を歩く。このあたりが元々の大府であるらしい。ものの本に寄れば、室町期には「大夫」と書かれていた。その後、大苻、大符を経て大府になったとのことである。日本語に「大夫(おおぶ)」という言葉はない。ただ「大夫(たいふ)」という言葉はある。位階の五位の別称である。
 あるいは中世以前にこのあたりは位階五位の貴族領であったのかもしれない。

 そんなことを考えながら散歩していたら容赦のない日差しにくらくらしてきたのじゃ。昨日は久しぶりに夏日だったからね。日射病にでもなったらかなわぬと途中にあった市立図書館に逃げ込んだ。冷房のほどよく効いている閲覧コーナーで「エコノミスト」のバックナンバーなどを読みながら火照った体をクールダウンしたのだった。
 めでたしめでたし。