スペシャル読書会その3

 読書会の翌日、そのメンバーの有志と、江戸時代暗黒史観を払しょくするために、恒例の歴史巡りツアーに出かける。今回は本丸御殿が一部修復になった名古屋城で明るく楽しい江戸を体験しようっと。
 凸凹コンビの凸ちゃんこと河村市長は、やることなすことことごとくダメだったけれど、この本丸御殿修復だけはよくぞ着手した。誉めてつかわすぞよ(笑)。
 おっと、話を逸らしてはいけない。とにかく順番に話しますね。
土曜の夜は、けっこう調子にのって飲んでしまった。朝までその酔いが少し残ったが、それでも、約束をしてあるので、日曜日の午前9時にはJR駅の改札前に行きましたぞ。
 その日も名古屋の先、一宮あたりで人身事故があったようで、ダイヤが大幅に乱れていた。仕方がないので普通と快速を乗り継いで名古屋に向かう。いつもよりたっぷりと時間がかかりましたがな(泣)。頼むから、列車で自殺するのは止めてくれ。一人の身勝手がこれほど多数の人に迷惑をかけている事実を報道機関はもっと社会に知らしめよ。でも、報道すればしたで、模倣者が増えるのが心配だけれど……。
 また話が逸れた。名古屋に着いたんだった。その後、地下鉄桜通り線を乗り継いで、名古屋城を訪なう。

 別名金鯱城とも呼ばれているが、その本丸御殿である。
 まだ、いたるところ工事中で痛々しい。それもそのはずで、本丸の完成にはあと5年ほどかかるという。なにしろ並大抵の工事ではないのだ。
 名古屋城関ケ原合戦の10年後、慶長15年の築城である。築城者は徳川家康、天下人の号令一下、豊臣恩顧の西国大名がこぞって名古屋城を築いた。創縄張り1.5平方キロ。城の北に下御深井御庭(したおふけおにわ)が広がっており、そこまで含めればゆうに2平方キロは超える。広大な城域と言っていい。
 家康は、そこに九男の義直を入場させる。慶長15年、未だ豊臣の勢力は大坂城にあり、その秀吉恩顧の大名も西国に数多く残っていた。西への防御要塞、これが名古屋城に与えられた機能である。本丸・二之丸・西之丸・御深井丸はことごとく総石垣造り、高い土塁と広い堀に囲まれて、威容を誇っている。

 城には、西之丸南の榎多門から入った。金鯱を左手に見ながら本丸大手門南の馬出を抜けて、表門より本丸に入城する。枡形(防御のための四角形の広場)を抜けると、本丸御殿玄関である。公開となっているのは、この玄関と表書院のみで、その他の三分の二は建設の真っ最中。そこは大きなドームで覆われているので中は見えない。
 それでもね、たまたまその日は工事現場の見学ができると書いてあったので、好奇心の塊のような、メンバーはこぞってヘルメットをかぶり工事現場の外付け階段をいそいそと登っていきましたがな。なにし表書院の大屋根の上に出るわけなので、どうだろう、ビルの4階くらいまでは階段を上がったような気がする。
 屋根の上に出て、工事現場全体を俯瞰したわけだが、その構造物の規模たるや、ワシャの想像を超えていた。全体の完成までまだ5年を要す、というのが実感として理解できた。
 それにしても、家康はこの工事を含め、200ヘクタールに及ぶ石垣などの土台から城全体を、わずか2年半で成し遂げている。ううむ、天下人家康の実力たるや畏るべし。

 その後、今、ワシャが一番気に入っている蕎麦屋の谷屋に行って昼食。昼過ぎから徳川美術館で、やはり江戸文化にひたったのだった。好天にも恵まれ、楽しい名古屋散歩になった。あ〜おもしろかった。