終戦記念日は4日前だった。しかし、今も千島列島の最北端の島、占守(しゅむしゅ)では戦闘が行われている。
8月18日、つまり、昨日の午前2時に占守島竹田浜にソビエト軍が大挙押し寄せた。終戦の大詔(たいしょう)はおりているにもかかわらず。日本はポツダム宣言を受諾しているのである。もう戦闘を続ける意味はない。
しかし、ソビエトには無駄な局地戦を仕掛ける深い意味があった。領土の拡大である。明治8年に締結された条約で日本のものとして画定した千島列島、明治38年のポーツマス条約で日本領土となった南樺太を、根こそぎ奪取したいとスターリンが思ったわけだ。ヤツが思えば、国際法上のルールなんて「屁」みたいなものである。日ソ中立条約を破ってソビエト極東軍が千島列島の最先端の小さな島に殺到した。
ところがである。日本国はなぜかこの小さな北端の島に手付かずの精鋭軍を駐屯させていた。太平洋戦争末期――というか、戦争自体は15日に終わっているのだが――の奇跡といっていいだろう。
占守島周辺の要域確保を任務としている第91師団の編成は以下である。
歩兵第73旅団、独立歩兵第282大隊、独立歩兵292大隊、師団速射砲隊、千島第1砲兵隊、千島第2砲兵隊、工兵隊、防空隊、戦車第11連隊、独立戦車第2中隊である。
その総兵力は2万4500、重軽火砲200門、戦車64両が、北端の島にまるで宝物をしまっておくような状態で温存されていた。兵員も大戦末期のロートル応召兵ではなく、甲種合格の精鋭たちで、もちろん武器弾薬類も潤沢に用意されている。
戦艦大和すら丸裸で特攻させるような追いつめられた国家が、ここにはまっさらの軍隊を留めていた。
(下に続く)