もう「首相談話」は止めてくれ その1

 ううむ……日本人は再びあの屈辱を我慢しなければならないのか。
http://news.biglobe.ne.jp/politics/216/san_100809_2166266844.html
 菅総理が《過去の植民地支配に関し、「多大な損害と苦痛に対し、痛切な反省と心からのおわび」を表明し、韓国側が求める朝鮮半島由来の文化財を「引き渡す」と明言する》んだとさ。
 ヒダリマキ史観でしかない「村山談話」を踏襲し、またまた韓国に土下座をするのか。申し訳ないがワシャは土下座などしたくない。歴史を詳細に読んでいけば、100年前に日本が半島に進出しなければ、間違いなく朝鮮はロシア領になっていた。その後の日露が己の占領地に行ったインフラ整備を比較して見よ。あるいは大戦後に共産圏に取り込まれてしまった北朝鮮の惨憺たる有様をみれば、日本と併合するのがいいか、ロシアに併呑されたほうが良かったのか、そんなことは問うまでもない。
 65年前に火事場泥棒のように掻っ攫っていった北方領土でさえ、スラヴ系のロシア人が完全に占領し、ロシアになってしまった。100年前にロシアが半島を占領していれば、間違いなく今もロシア領だったろう。80年前にはスターリンが登場する。その時、半島がソ連領だったら、どれほどおぞましい収奪や人種差別が行われたことか。

 民族として他の民族の隷下に組み込まれるのは屈辱だろう。しかし、あの帝国主義の時代、ああいった形でしか極東の国家群は生き残れなかった。歴史の必然だったと言ってもいい。
 司馬遼太郎の担当編集者だった和田宏さんが「週刊朝日」にこんな文章を寄せていた。題は《「明治」は江戸の手柄「昭和」は明治のしくじり》というものだ。要するに、明るく健全だった「明治」をつくったのは江戸に生まれ江戸の教育を受けた世代で、暗く陰惨だった「昭和前期」をつくったのは明治に生まれ明治の教育を受けた世代だったということ。
(下に続く)