野狐禅(やこぜん)

 いやー、この言葉も「荘子塾」に通っていなければ一生知らずに過ぎてしまった言葉ですぞ。
野狐禅」仏語である。禅をおさめる人が、まだ悟ってもいないのに、悟ったつもりになってうぬぼれること。転じて、生かじりでうぬぼれること。野狐はきつねのことで、野孤の修めた禅で得々としていることをいう。
 この言葉が出てきたのは、「わかったつもりになる」という荘子思想の弱点について触れた際に、類似した「禅」の中の言葉として呉先生が紹介された。
 う〜む、ワシャなんてすべてが生かじりだから、スーパー野狐禅だのう。
 また「野狐禅」の類例として、日蓮がコピーライトした「禅天魔」の話にも触れられた。こちらの方は、日蓮の出てくる大河ドラマなどを通じて、野狐禅していた。
「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊!」
 って、奥田瑛二日蓮に扮して絶叫していたでしょ。おお、そうだ、日蓮で思いついた。久々に「法華経」でも読むことにしよう。