漱石が来て虚子が来て大三十日

 気がつけば大晦日だった。ワシャは『日本史歳時記三六六日』(小学館)を愛用するものである。日々、その本でその日の出来事をチェックし、機会があればなにかの話題として出せるようにしている。でも、チャンスがなければそのまま出さずに終わる。ケチな知識を能動的に披歴しても、知ったかぶりをしているだけのことで面白みはない。他の人たちが芸能人や歴史上の人物の話題で盛り上がっている時に、さらりと「その人の誕生日が今日なんだよ」とか挟み込めればいいのである。365日確認していても、どうだろう数度使えたかどうか。その程度のことなのである。
 そんな本の「1月1日」のページをついこの間開いたと思ったのだが、もう12月31日になった。光陰矢のごとし。夜にたえるときは、闇が永遠に続くのかと思うのだが、夜が明ければ瞬く間であったような気がする。
本のことである。今年、最初に買ったものがこの本だった。
天皇皇后両陛下慰霊と祈りの御製と御歌』(海竜社)である。年初を飾るいい一冊であった。多くは語らない。皇后陛下の御歌を写させていただく。
《海陸(うみくが)の いづへを知らず 姿なき あまたの御霊(みたま) 国護るらむ》
 今年、オバマ米大統領が広島を訪問し、安倍首相が年末に真珠湾を訪れた。あまたの御霊よ、ご照覧あれ。日本の首相とアメリカの大統領がお互いの国を思いやり手を携えている。力を尽くした戦いの結果は結果として、あまたの御霊がこの極東の優しい国を護ってくれたことは間違いない。そのことに改めて気づかされた一年でもあった。少し語ってしまった(笑)。
 年初に作家の荒俣宏さんにお会いしたのも刺激になった。荒俣さんのサインをもらおうと『サイエンス異人伝』(講談社)を買って読んだのをきっかけにして荒俣本をずいぶん読んだなぁ。
 今年は司馬遼太郎没後20年だった。そのため司馬さん関連の書籍も多かった。『司馬遼太郎の言葉』(朝日新聞出版)は全3巻をはじめ、『司馬遼太郎の神髄』(文藝春秋)、『司馬遼太郎再発見』(オール読物)、『司馬遼太郎スペシャル』(NHK出版)などなど。
昭和天皇実録』(東京書籍)も3巻から9巻は今年に入ってから購入した。それに関連して『「昭和天皇実録」の謎を解く』(文春新書)、『近衛日記』(共同通信社)、『東京裁判史観の虚妄』(祥伝社新書)などを購入した。日本近代史も実に面白い。
 百田尚樹至高の音楽』(PHP新書)からクラシックにもはまった。ワシャの書籍購入リストにはCDも記載してあるが、『ラヴェルピアノ名曲集』、『モーツアルト歌劇〈魔笛〉全曲』、『シューベルト「野ばら〜魔王」』、『ブルックナー交響曲第8番』などなど40枚ほどを購入した。『ベートーヴェン』だけでも6枚も買っている。本当の音楽ファンの人はもっと買っていると思うけれども、ワシャはそれほど聴く方ではなく、年に1枚か2枚気に入ったものがあれば入手するくらいだった。それが40枚である。おそらくワシャの人生でもこれほどクラッシクを買った年はない。
 クラシック関連で、『戦争交響曲』(朝日新書)、『この名曲が凄すぎる』(PHP)、『すべては音楽から生まれる』(PHP新書)、『笑えるクラシック』(幻冬舎新書)など。クラシック好きな友だちの誘ってもらってコンサートにも何度か足を運んだ。ワシャ的にはクラシック元年と言っていい一年だった。
 隣町のイベントがきっかけで、インドの詩人ラビンドラナート・タゴールに触れたのもいい刺激になった。『ギタンジャリ』(レグルス文庫)、『タゴール死生の詩』(人間と歴史社)は人が生きることとはなにかを考えさせられた。禅の思想、たとえば『正法眼蔵』などにベンガルの思想を加味することで、死生観が醸成できればいいとおもうのだが、まだまだそんなわけにはいきまへん。タゴールの絵本『ベンガルの苦行者』がワシャのレベルにはちょうどよかった。いえいえ絵本といっても侮れませんぞ。
 年末になって「碁」に関する本を何冊か買ったけれど、これはモノになるかどうかまだ未知数なので、恥ずかしくて言えない。「碁」は実際に打ってナンボのものだと思うが、どうしても活字から入ろうとしてしまうのが、ワシャの性分なんですね。

 ちなみに漱石も虚子も子規も各々1冊読んだだけでした。

 本年も駄話におつきあいいただきましてありがとうございました。
 よいお年をお迎えください。