司馬さんも間違えた

街道をゆく』の「大徳寺散歩」にこんなエピソードがある。
 司馬さんは京都紫野の大徳寺の搭頭(たっちゅう)である孤篷庵(こほうあん)を訪れた。ここに、江戸初期の大名小堀遠州が造った「忘筌(ぼうせん)」と呼ばれる茶席がある。司馬さんは、同行した編集者からその名前の由来を問われた。
「茶筌(ちゃせん)を忘れるということでしょう」
 その時は言葉の意味を知らず、適当にそう答えてしまったそうだ。あとで「忘筌」が『荘子』の「雑篇」の中にある「魚を得て筌を忘る」から来ていることを知り「ひどい間違いをした」と恥じ入っておられた。
 知の巨人といわれた司馬遼太郎だって間違うことはある、ということを知って少しホッとした記憶がある。
 言い間違いキングの麻生さんも『街道をゆく』を読んでいれば少しは救われるかもしれないが、望むべくもないか……

 先の日曜日から、延べ20回にわたった「論語」に続き、「荘子」の勉強会が始まった。名古屋博学本舗
http://hakugakuhompo.michikusa.jp/Nagoya_hakugaku-hompo/index.html
の主催で、講師はもちろん呉智英さんである。
 不勉強のワシャは、今回、初めて「荘子」に触れることになったのだが、1回目が終わったところで言うのもおこがましいけれど、「荘子」がなんとなく肌に合うような気がするのじゃ。
 呉先生は言われる。
荘子を理解するポイントは、儒教との対比で読むこと。そして、禅宗を思い浮かべながら読むとよい」
 おおお、これか!「荘子」に抱いていた親近感は、「禅」に通じるものがあるからだった。
 ワシャの家の宗旨は曹洞宗である。越前永平寺門徒でもある。家伝に寄れば、織田信長の先祖とともに越前から尾張に出てきたようだ。それに若かりし頃、金剛禅少林寺で参禅修業などをしていた。だから「禅」はワシャのDNAの中に染み付いているといってもいい。
禅宗は仏教というより荘子思想である」
 呉先生は言われた。
 永い間、ずいぶん遠近をうろうろしてきたが、ようやく目指すべきものが見えてきたような気がしている。講義の中で出てきた十牛図
http://www.kodaiji.com/entoku-in/tencows/cowflam.html
の二段階目の「見跡(けんせき)」にようやく辿りついたところか。

 ここではたと気がついた。司馬遼太郎、「大徳寺散歩」で偶然に「荘子」の話を挿んだのではない。大徳寺臨済宗大徳寺派の総本山である。その類似性故にここで敢えて話題にしているのだ。さすが司馬遼太郎、中国の故事を誤用するどこぞの阿呆とはえらい違いだ。