市民幸福度という考え方

 GNH(gross national happiness)国民総幸福量という考えかたがある。GNHを増やしていくということを国是として掲げているのがブータンである。
 それに影響されたのか(絶対に影響されているよね)、国民生活白書では、「消費者・生活者が求める社会を探る上では幸福の源泉を探ることが消費者市民社会の将来像を検討する上で重要な要素となってくる」と言っているが、バカといっていい。いかにも、官僚が机上で作文した下手な文章だし、幸福というものに関する認識が甘い。そう簡単に「幸福の源泉」が、探ることができてたまるものか。

 そもそもブータンは国旗にチベット仏教のオレンジを取り入れている国柄である。国民の中に深い信仰心が根付いている。経済的に貧しいから、国民同士が助け合うことを知っている。だから地域コミュニティも強い。そういう国でなら「幸福度」という考え方もありだと思うが、経済最優先、金を掴むことが人生の目標だと考える守銭奴が蔓延る日本で、「幸福度」なんてものが量れるものか。
 バカ白書はこちら。
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h20/10_pdf/01_honpen/pdf/08sh_0103_01.pdf
 この白書は言う。
「所得上昇は幸福度に結びついていない」
 当たり前だのクラッカーなのだ。仏陀の時代から金などというもので、幸福など得られないというのは常識のコンコンチキである。そんなことすら認識していない内閣府の見識を疑う。
 次のページでもバカをさらけ出している。「GDPと幸福度は明確な相関が見られない」って、あーた、所得と幸福というのは関係がないんだってば。
 宇野千代さんがこう言っている。
「私は幸福だか不幸だか、そんなことはちょっと言えない。不幸だとか幸福だとか言う言葉くらい、本人の気の持ち方次第のものはないからだ。自分が不幸が好きなときは不幸だし、幸福が好きなときは幸福だ。」
 
 ついでにスイスの哲学者のヒルティにも語ってもらおう。
「われわれのよわいは七十年、あるいは健やかであっても八十年であるが、その生涯はたとえ辛苦と勤労とであっても、なお尊いものであった」
 と前置きして、最後にこう特筆している。
「これが幸福なのである!」