東京大学の使い道 その2

(上から続く)
 変な官僚がいる。東京大学法学部を出て、自治省に入りながら、霞ヶ関での仕事を嫌って、ずっと地方、それも基礎自治体を回っているという変り種だ。ときには九州の田舎町で消防団員も務めた。山火事の現場にも出動している。火災の最前線で指揮をするためではなく、現場の一作業員としてホースを背負って走りまわり消火活動を行う。エリート意識の強い東大法学部出身者ではとうていできないことを実践している。
 その人が、久方ぶりの東京で霞ヶ関の仲間数人と会食をした。その折りに仲間から「あまり外ばかり回っていると霞ヶ関に戻れなくなるぞ」と忠告を受けたそうだ。
 その人は、
「もうとっくに戻れないよ」
 と、笑って応えたという。
 霞ヶ関の住人は、自分たちが住み心地がいいと信じている霞ヶ関に早く戻っておいでと勧めたわけだが、その人は、霞ヶ関に帰って仕事をする気はとっくに失っていた。地方の現場で住民と直接触れ合いながら町づくりをしたほうがずっと有意義だと確信しているからだ。そしてこの人は確実にあちこちの町で成果を上げつつある。地方からの評価は極めて高い。申し訳ないがエリートレールに乗っかるしか脳がなかった井戸知事とはモノが違う。
 冒頭に司馬さんの文章を引いた。司馬さんの言われるとおり、東京大学の学風として独創性を嫌うところがある。そして東大の中の東大である法学部から霞ヶ関の住民となっても、上司から独創性の排除を求められる。上司に独創性がないので、部下に独創性があっては霞ヶ関という秩序が乱れるからである。そして上司の求めるような官僚にならなければエリートコースからはみ出してしまうので、仕方なく霞ヶ関という小さな枠に納まらざるをえない。これが霞ヶ関官僚の小粒たる由縁だ。
 しかし、選良意識の強い彼らには小粒になったという自覚はない。とくに2万人の中でも垂直急上昇組、いわゆる国家に対して絶対的な権力をもつトップエリート400人(兵庫のバカ殿も含む)には、火災現場で水浸しになって消火活動に従事しようというような気持ちはこれっぽっちもないだろう。
(下に続く)