山川草木悉皆成仏

(上から続く)
 日本人独特の自然観、宗教観に「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」というものがある。人や高等な動物だけではなく、生きとし生けるものにも人と同じような霊が宿っている、だから「命」というものは大切なんだというような感じかたである。
 これに対して、欧米人は、巨大な体躯や高度な知能を持つものに哀憐の情を示すことがある。クジラやイルカの保護に奔走する人々である。反面、人間のためにつくられた牛、豚、羊を始め、虫や草木にまで同等の「命」というものを認めているのだろうか。
 日本人は、大昔より、捕獲したクジラを余すところなく使いきることで、クジラの「命」を無駄にすることないようにしてきた。そして、捕鯨を生業とする港町ではクジラを神として崇めて、常に祈りをささげてきた。それは、ルイ・シホヨスが歪んだ目で盗撮した和歌山県太地町でも同じだ。クジラも供養すればイルカも供養する。
 ところがどうであろう。巨躯のクジラ、高い知能を持つイルカの保護を訴えるアメリカは、かつては遠洋まで捕鯨船を出し、捕獲したクジラを殺し、保存のきく鯨油だけを取り除き、残りのクジラ本体は海洋投棄するという荒っぽいやり方で太平洋のクジラを根こそぎ一網打尽にしている。アメリカの捕鯨船には、人間のためにクジラの命をいただくという思想が完全に欠落していた。もちろん捕鯨に携わってきたアメリカ人がクジラの霊を慰めるために教会を造ったなどという話は聞いたことがない。

 ポール・ワトソンは、ソ連捕鯨船マッコウクジラを殺戮するところを目の当たりにして「私は、クジラと海の生き物すべてを守る守護者になることを誓った」のだそうだ。クジラと海の生き物すべてを守るために、日本人の命が危険にさらされようと、それは関係ないらしい。
 彼が、日本の捕鯨船に撃ちこんだ有害な薬品のパッケージには「死ね」と書いてあった。