大学は出たけれど

 タイトルは小津安二郎が1929年(昭和4)に監督した作品の題である。
 昭和恐慌のあおりで、大学は卒業したものの、就職が決まらずに走りまわる主人公徹夫の日常をコメディタッチで描いた快作である。
 この時期の学士様は、同世代人口の1%もいなかった。完璧なインテリゲンチャといってよく、今の大学生とは知的レベルがだんぜんに違う。そんな人財でも就職率は5割を切っていたというから悲惨だ。
 仕事のない夫にかわってバーの女給として働く妻を19歳の田中絹代が演じているが、これがキュートで可愛らしいんですな。もう完全なフィルムは残っていないけれど、小津ファンとしては見逃せない一作である。

 ワシャが未だ青雲の志を心に秘めていた頃、映画を必死に観まくっていた。年間200本も観ていただろうか。そんな頃に小津作品に出会った。『麦秋』である。この頃、ワシャは邦画をばかにしていたと思う。やっぱり映画はハリウッドだと盲信していた。
 しかし、『麦秋』を観て、雷に打たれたような衝撃を受けたのである。映画が始まって終わるまで、物語は淡々と続く。派手な追跡劇もラブシーンも銃撃戦もない。北鎌倉に住する一家の日常が静かに描かれていくのみである。盛り上がるところなどまったくないのだ。映画は、一面の麦畑の中を花嫁行列が通り過ぎていくシーンで終わる。ある解説によれば、麦の穂は無数の死者の霊なのだそうな。そこには無数の輪廻があり、新たな誕生があるという。そんな解釈は後々知ることとなるのだが、それでも何も知らずに観た麦畑のシーンに何事かを感じ取ったワシャは図らずも泣いてしまった。
 それまではウイリアム・ワイラーを尊敬していたのだが、「麦秋」から小津安二郎を信奉するようになったのじゃ。
 小津安二郎に触れたことのない方がいれば、それは幸運なことですぞ。だって、今からあの感動を体験できるのだから。うらやましいなぁ。
 お勧めは、もちろん『麦秋』、そして『東京物語』、『晩春』、いわゆる原節子主演の「紀子三部作」である。「家族」とは「輪廻」とは「無常」とは、年末年始にじっくり考えてみるのも乙なもんでげすよ。