病院幽霊

 数年前、左足の腓骨を折った。突然、悪友が死んで、その葬儀の準備に行く朝、庭で香典を持ったまま転倒し、左足をコンクリートの犬走りの角に強打したのだ。「ペキ!」という感覚が左足にはしったが痛みはなかった。でも、もう立ち上がれなくなっていた。そのまま市街地の北部にある古い病院に搬送され検査を受けて入院ということになった。
 知人の間では、「ワルシャワの骨折は死んだ悪友の祟り」という噂が流れたらしいが、そんなことはどうでもいい。問題はその古い病院である。実はその病院、すでにこの世に存在をしていない。ワシャが退院してまもなく取り壊されてしまったのだ。かなり老朽化していたから仕方がないといえば仕方がないのだが、ヤツらも一緒に消えてしまったとしたら少し寂しいような気がするのだった。
【徘徊爺(はいかいじじい)】
 異変は入院した夜から始まった。7月中旬の蒸し暑い夜だったなぁ。ワシャは一人部屋で慣れないベッドのためか何度も寝返りをうってなかなか寝つかれなかった。見まわりに来た看護婦さんが締め忘れたのか、病室のドアが開いていて薄明かりの灯る廊下が見えている。
 うとうとしかけたところに「ペタン……ペタン……ペタン……」とゆっくりと廊下をやってくるスリッパの音が耳に障った。
「誰か来るんだ」
 と思った。でも、看護婦さんではない。看護婦さんならもっと静かに規則正しい足音になる。それに看護婦さんはスリッパを履かない。そんなことに思いを巡らせていたら目が冴えてきた。
 ドアの向こうの廊下を見ていると、点滴をぶら下げたガートルスタンドを押しながら老人が左の方向から現れて、右の方向に消えていった。老人は慎重に歩いているので「ペタン……ペタン……ペタン……」というスリッパの音は徐々に小さくなりながらもずっと続いている。
「あの爺さん、どこまでいくんだろう」
 てなことを考えているうちに眠ってしまったようだ。

 異変と言ったけれど、爺さんが夜中に廊下を歩いていただけのことで、それだけでは異変ではなかった。実は、翌朝、それが異変になった。
 朝の食事が終わると検査を受けるということで、ストレッチャーに乗せかえられて廊下に出た。廊下に出てびっくらこいた。ありゃりゃ、ワシャの個室は病院の一番端っこにあったのね。ドアから出て右に行けば3mほどで非常階段への出口になってしまう。
 あの爺さんはどこまへ歩いて行ったんだろう。