本を買い続ける

「日垣さんが来ましたよ」と書店から連絡があった。
 え!ジャーナリストの日垣隆が、ワシャの行き付けの本屋に現れたのか、と思ったら、な〜んだ、頼んでおいた日垣さんの本が届いたということでした。あーびっくりした。
『怒りは正しく晴らすと疲れるけれど』(WAC)
『〈北朝鮮〉はなぜ嫌われるのか』(大和書房)
の2冊を頼んでおいたのである。本屋に長居をするとまた本を買ってしまうので、さっさと本を受けとって帰ろうとすると、「まだありますよ」と店員さんが言う。
小林よしのり『世論という悪夢』(小学館101新書)
アダム徳永『出世する男はなぜセックスが上手いのか?』(幻冬舎新書
加藤廣『空白の桶狭間』(新潮社)
加藤廣『豊かさの探求』(新潮文庫
諸星大二郎西遊妖猿伝1』(講談社
 あらあらあら、いろいろ頼んでいたんですね。ちょっと変なタイトルのも混じっているけれど、はいはい、金欠ですけど、もちろんいただいていきますよ。ついでだから「文藝春秋」、「歴史読本」、「シナリオ」の9月号も買っておこうっと。レジで1万円札を出したら、百円硬貨と10円玉がちょこっと返ってきた。最近、本屋に寄るたびに1万円札が消えてゆく。なにかの祟りだろうか。

 家に帰って、日垣さんの新刊を読む。
 ううむ……ワシャの書棚に月刊誌の「WiLL」は創刊号から全て揃っている。だから、日垣さんの連載「どっからでもかかって来い!―売文生活日記―」は、欠かさず読んできた。にも関わらず、この連載を一冊の本にまとめた『怒りは正しく晴らすと疲れるけれど』を読み返してみると、これが新鮮なんですな。2007年6月、7月、9月に載った佐高信さん話も、一まとまりにして連続で読むとゾクゾクするほど痛快だ。長い髪の毛を片頬に貼りつけて池から這い上がってきた佐高さんが脳裏に浮かんでしまいましたぞ。
 巻末の〈「知的生活の方法」再び〉は、タメになった。付箋も付けまくってしまった。例えば、渡部昇一さんのこんな発言がある。
《読書というのは、装丁、本の重さ、紙の質、それら全て味わうものだと気がついた》
《そういうような悟りをひらきまして、本は買い続けます。どんなクズ本でも読んだ本は絶対に捨てません》
《自分に限界を作らないほうがいいんですよ》
 知的レベルの高い人たちに励まされて(そそのかされて)、せっせと本屋に出かけましょう、そういう結論に達した。