中国という悲劇

 世界ウイグル会議議長のラビア・カーディルさんが日本にやってきた。入国を認めた日本政府に対して中国は政府も民間も猛烈に反発している。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090729/chn0907291839003-n1.htm
 この件に関して中国の反応は常軌を逸している。肩書きはともかくも、アメリカ在住の一人の女性が日本に来たというだけで大騒ぎをする。
「私たちが新疆で武力行使したことについては何らやましいところはないアルヨ」
と言われても、このうろたえ方を見ると、「やっぱり何か隠しているのではないか」と思えてしまう。
 自由な世界では不都合なことを流されることもある。でも中国はその自由を絶対に許さない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090727-00000015-rcdc-cn
 人倫にもとらなければどんな映画を上映しようと自由なのだが、中国は国家として上映中止を求めてくる。それが受け入れられないとみると、映画祭の公式サイトにサイバーテロを仕掛けてくる。
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=33736
 ウイグルで何が起きたのか、そのことを確かめるために各国の記者たちが現地入りしている。この取材記者たちに対して一般の漢族が圧力をかけてくる。
「5日の夜、ウイグル人が俺たち漢民族を殺していた時はなぜ撮影しなかった」と棍棒を手に脅してくるらしい。
 
 司馬遼太郎が昭和52年「週刊読売」に「新疆ウイグル自治区を訪ねて」というエッセイを上梓している。少数民族を慈しみながらも、中国の辺境対応についても一定の理解を示している。だからワシャ的にはこのエッセイは好きではないのだが、そういった見方をしている日本人がいるのも確かだ。それなのに彼の国は金と力によってゴリゴリと周囲を従わせようとたくらむ。
 中国の悲劇は10億という漢民族を抱えてしまったということに尽きる。司馬さんは中国のおかれた立場に理解を示しながらも、国としての規模が大きすぎることを嘆く。
「フランスくらいの人口、国土がもっとも適切な国家運営ができるのではないか」
 司馬さんは常々そう言っていた。

 中国ばかりではなくインドもそうなのだが、一つの国家、一つの制度で10億の民草をまとめ上げていこうというのは無謀な暴挙といっていい。