人の顔というものは正直なもので、権力に淫すると覿面(てきめん)に悪い顔になる。概して政治家の顔が悪いのはこの作用によるものと言っていい。
野田聖子がそうだった。将来の首相候補とまで言われていた彼女が郵政民営化で当時の小泉首相から追放をくらった。自民党から追い出され野に下ったとき、野田聖子はいい顔をしていた。その頃に御園座で顔を合わせたことがあったが、表情から険がとれてやわらかい穏やかな女性に見えた。それがどうだ。権力の座にもどって「こんにゃくゼリー」を口を極めて罵っているときの傲慢な顔はひどかった。ああ、この女はまた権力に淫してしまったのだ、と思ったものだった。
最近では宮崎の東国原知事である。知事になったばかりの頃と比べると人相が卑しくなったともっぱらの評判である。確かに「バンキシャ報道」で河上さんに食いついていた東国原知事の顔はいやらしい権力者の顔だった。これが権力の怖いところなのである。詰まらない猫も地位という立場を得ると、とたんに虎の風を装い、いつしか自分のことを虎だと思い出す。しょせん師匠のビートたけしに拾われた捨て猫だったじゃないか。東国原知事は原点回帰すべきだろう。
今朝の朝日新聞の1面に麻生首相の写真がでかでかと載っている。それがいい顔なんですね。ようやく権力から離れる決心をしたんだろう。少なくともその写真の表情からは険がとれて、どこにでも居そうな人の良さげなおっさんに見える。惜しむらくは鼻毛の処理をしておかなかったことだろう。
組織も権力に恋々とするようではお仕舞だ。麻生首相が今週中に解散したいと言っているんだ。ここまで崩壊しているんだから好きにさせてやればいいものを、己らの得票のために宗教政党に配慮している場合か。残念ながら国政を長きにわたって壟断してきた政党は権力という魔物に魅入られて魂を売ってしまったのかもしれない。権力しか見てこなかった連中がどんな策を弄しても流れは変えられないって。ここは麻生首相の言うとおり今日解散しておけばよかったと思いますぞ。
図らずも、麻生首相が決断した8月30日は、マッカーサー元帥が日本にその第一歩を印した日でもある。マッカーサーの日本での第一声はこうだ。
「メルボルンから東京までは長い道のりだった。長い長い、そして困難な道程だった。しかし、これで万事終わったようだ」
果たして私たちは来たる8月30日に「これで万事終わった」と言えるだろうか。