論語と忘年怪

 日曜日に論語塾があった。ちょうど「郷党第十」が終了し、論語の半分まで読んだことになる。ここまでを上論(しょうろん)と言う。「千進第十一」以降が下論(かろん)となる。呉先生によれば、「上論より下論のほうがおもしろかろん」とのことだった。
 道半ばまで来て、ようやく論語はまことに興味深いということに気がついた。従来からのイメージの如く、道徳の本、箴言集のつもりで読むとこれほど退屈なものもなかろう。しかし、民族学的、歴史学的に読むと、孔子さまが、その弟子たちが2500年の時空を超えて生き生きと動きはじめるのだ。
「郷人飲酒、杖者出斯出矣、郷人儺、朝服而立於□(こざとへんに乍)階」(郷人の飲酒には、杖者出ずれば、斯に出ず。郷人の鬼やらいには、朝服して東の階に立つ)
「村人たちの宴会では、杖をつく老人が退出してから、若い者は退出するのがよろし。村人が節分の豆撒きをするときには、祖先の霊廟を守るために正装をして東のきざはしに立つのじゃ」
 ううむ、2500年も昔から、宴会では長者を差し置いて、下っ端が先に帰ってはいけないのだ。このことを日中、呉先生からご教示いただいたにも関わらず、ワシャとパセリ君は忘年怪を、あろうことか呉先生やご来賓より先に帰ってしまった。不出来な弟子ですいません。
 およよ、2500年も前から節分をしていたんだね。呉先生によれば、節分に撒く豆には霊的な力があって鬼も追うけれども、祖霊にもダメージをあたえてしまうのだそうだ。だから家の主人は正装をして霊廟(今でいう仏壇)の前に立ちはだかって豆から祖先の霊を守っているのである。

 司馬遼太郎が、短編集『一夜官女』のあとがきで、ナマの人間は人間らしくないという前提に立ってこんなことを言っている。
《ところが史書という紙の上にだけ存在している人間の方が、はるかに人間くさいのである。かれらは、史書という、凝固された人生の中で生きている。それだけにかれらがひとたび哄笑すると、歴史の舞台の上ですさまじく反響するほどの笑いにあるし、ひとたび残虐を思いたつととめどもない。》
 寒い季節に階(きざはし)の上に立っている若き当主が洟をすすっているのが紙面から立ち上がってくるから不思議だ。