ささやかな宴にて

 昨日、某所で現役自衛官と膝を交えて話をする機会を得た。トップは一佐(大佐)である。2700名の実働部隊を指揮する連隊長級の人物だ。
 話はもっぱら田母神前航空幕僚長の論文の話になった。もちろん現役自衛官たちの口は重い。心の中では田母神論文を是としていても、それを表明することはなかなか難しいのだろう。仕方がないので、ワシャが全面的に支持しておいた。小道具として「WiLL」1月号――田母神論文についての特集が掲載されている――を持参していたので、それを手に一席ぶったのだった。酔っ払いの言い分を以下にまとめた。

 明治維新という政変があった。その時代にテロがあり、拷問があり、虐殺があり、陰謀があり、侵略戦争があり、迫害があり、差別があった。しかし、日本人はあの時代を否定していない。むしろ「是」としている。260年の閉鎖された国体をぶち破り、目と鼻の先まで押し寄せてきている欧米列強に対峙するためには、生みの苦しみというものが必要だった。そのことは司馬遼太郎も認めているところだ。
 大東亜戦争を考えると、時に東アジアは欧米列強に侵食され、見る影もない有様だった。仏領インドシナ、蘭領東インド、英領インド、英領ビルマ、米領フィリピン、これらの地域の人々は押し寄せてきた白人に奴隷のように使役され搾取されていたのだ。
 日本の進出に、高邁な理想などなかった、としてもいい。しかし、15年戦争の結果、大東亜はどうなったか。ことごとく独立を果たして、欧米列強を追い払ったではないか。アジアの民族の自立を喜ぶとするなら、極東の小さな島国が流した血も評価されて然るべきだと思っている。田母神論文の中にも《私たちは多くのアジア諸国大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。》とある。ワシャもそう思う。
 田母神空幕長を更迭する切っ掛けとなった村山富一元首相の卑屈な談話こそ葬り去るべきである。もうそろそろ日本は「軍事アレルギー」から脱却したほうがいい。