ベトナムを考える

 紀元前の中国に「五覇の時代」といわれる時期がある。ちょうど孔子が活躍した時代と重なる。諸説はあるが、この五覇の中に「越」という国があった。「孫子」の第十一篇「九地」に出てくる「呉越同舟」の越である。この「越」の南が「越南」つまり「ベトナム」である。

 今、ベトナムに関する本を何冊か漁っている。来月の課題図書に、石川文洋ベトナム 戦争と平和』(岩波新書)が選ばれたので、関連本として、松岡完『ベトナム戦争』(中公新書)、亀山旭『ベトナム戦争』(岩波新書)、松本信広『ベトナム民族小史』(岩波新書)、木村哲三郎『ベトナム』(アジア経済研究所)、チャールズ・フェン『ホー・チ・ミン伝』(岩波新書)を読んでいるのだ。

 もともとベトナムは独立国だった。それが19世紀の後半に強大な軍事力を背景にして押し寄せてきたフランスに植民地化されてしまう。そして仏領インドシナと呼称を変える。もちろんベトナム人はフランスの横暴に手を拱いていたわけではない。激しい反仏運動がトンキン、アンナンなどで繰り広げられた。しかし、圧倒的な火器を装備したフランス軍の前に前近代的ベトナム兵はものの数ではなかった。その後、ベトナムは長くフランスの圧政に苦しむことになる。
 ベトナムと同じ中華の周辺国で特異な動きをする国家があった。ベトナムから3000キロほど北東の太平洋に浮かぶ島嶼国家「日本」である。押し寄せる欧米列強が領土に手を出す前に、さっさと国内革命を終了してしまう。そして富国強兵を進め、近代的な陸海軍をあっという間に作り上げてしまった。その上で、当時、「眠れる獅子」と言われた清帝国に挑み、あっさりと勝利をおさめる。ベトナムの知識人が呆気に取られているうちに、日本は世界最強の軍隊を有する大国ロシアに挑み掛かって、これまた勝利をおさめる。自国と大差のない有色人種の小国家が白人の大国をやぶったことは、ベトナムを始めとする欧米列強の植民地と化しているアジアの民族主義者たちを奮起させた。
 ベトナムの知識人は動いた。日本に学べということで、すぐに日本へわたり大隈重信犬養毅などの政治家たちと接触したり、大挙、留学生を送り込んだりした。それでもフランスの頚木は揺らがなかった。ベトナム人が解放されるには、外部からの強い作用が必要だった。

 大東亜戦争である。
 日本は、インドシナに軍事的干渉を行うとともに、タイの政権を動かしてインドシナ領の割譲をフランスに迫った。この混乱に乗じて台頭してくるのが、ホー・チ・ミンであった。
(続く)