論語塾ますます面白し

「子曰(のたま)わく、後生畏(こうせいおそ)るべし。焉(いずく)んぞ来者(らいしゃ)の今に如(し)かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、斯(こ)れ亦(ま)た畏るるに足らざるのみ。」
 子罕(しかん)篇9−23では、ガツンとやられましたぞ。
「40歳、50歳になっても評判が立たないようでは、それはもう恐れるまでもない。すかしっ屁みたいなものだよ」と孔子先生は仰っているのだ。ううむ、未だに世に出ることのできないワシャは音にも聞こえないわけで、そう言われてみればそうかもしれない。
 呉先生は「儒教の最大の弱点は実学の軽視である」と言われる。そのことは司馬遼太郎も言及している。19世紀までの支那、朝鮮の停滞は、儒学という虚学を基準にして官吏を登用していたためであった。詩を作ったりする教養さえあれば、有能とされたのである。これじゃぁ官吏が国家の危機に何もできないのも道理だ。だから19世紀末に清も李氏朝鮮も滅んでしまう。
 かたや日本は、やはり儒教の影響下にあったのだが、支那、朝鮮のように真面目な学徒にならなかった。その不真面目さが、日本を極東の停滞から救った。
 先週、東京に行った際、お茶の水の北の台地の上にある湯島聖堂に寄った。境内地に入ると真っ黒に塗られた堂宇が四方から迫ってくる。ずいぶん威嚇的な建物だと思った。「これが儒教の虚仮威しなんだ」と妙に納得をしてしまった。
 
 来月から論語塾の第2クールが始まる。益々楽しみになってきたわい。