子供の国

 先日、イギリスから来日したラグビーチームが靖国を参拝した。ありがとう、大人の国の皆さん、紳士の国の皆さん。

 イギリスは、先の大戦で日本と真っ向から戦った国である。お互いの軍が死力を尽くして戦った。東南アジアで多くのイギリス軍人が命を失っている現実があるにも関わらず、その国の方々が靖国の英霊に額ずいてくれた。さすがノーサイド精神を持つ国民性。

 かたや韓国は、先の大戦で1ミリも日本と戦っていない。当たり前だ。日本だったのだから。しかし、旭日旗を「戦犯旗」と蔑み、「永遠に謝り続けろ」と叫ぶ。そしてこともあろうに英霊を祀った施設を棄損までする。この国民性の差はなんなんだ(笑)。

 このことも、一昨日の日記で紹介した宇山卓栄『朝鮮属国史』(扶桑社新書)を読むとよく理解ができる。宇山氏は言う。

《朝鮮は歴史的に中国の属国にされてきました。》

 まさに、その2000年の経緯が解りやすく全編に網羅されている。

《その「歴史的隷属」がどのように朝鮮人の心を蝕み、「精神の卑屈」を生んできたのか、また。それが長い歴史の中で、今日まで受け継がれてきたのかを読み解いてきました。》

 ホントに解りやすかったですぞ。

《国民が自分たちの歴史を誇ることができない、このことが歪んだ政治(北朝鮮の核問題、韓国の反日など)を生む根源的な原因となっています。》

 日本も、イギリスも、戦う時には命懸けで戦ってきた歴史がある。それが国家の誇りであり、毅然とした民族の立脚点でもある。日本の歴史にも、イギリスの歴史にも、子孫に誇れる人物が数多存在する。そんなことはここで列挙する必要はないが、残念ながら朝鮮史には、存在しないのである。これは卑下して言っているのではない。厳然とした事実として提示しているのだ。

 朝鮮史には英雄がいない。それも仕方がないことなのではある。朝鮮は支那の文化、制度などすべてを模倣して生きてきた。だから名前も支那人と同様である。同じく支那の周辺国の名乗りを見てくだされ。チベットでもウイグルでもモンゴルでも、金日成とか文在寅などという支那名乗りではないでしょ。チベット文化研究所所長はペマ・ギャルポさんで、支那の名前ではないですよね。日本人になって白鵬だって、ムンフバト・ダヴァジャルカルって、完全にモンゴル人の名前でんがな。

 つまり、日本を含めて周辺国は、支那文明の影響は受けたけれども、まるまるコピーはしなかった。しかし、朝鮮半島の種族は完全コピーをした上に、まるまる支那冊封体制の中に呑み込まれてしまった。これを属国と言わずしてなんと呼称するのか。

 そもそも属国には主権はない。朝鮮王は、支那からやってくる使いにすら「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)」を捧げなければならない。三度跪き、九回額を地面に叩きつける、こんな屈辱的な挨拶を、たかが「使い」にもしなければならない国が、宗主国と対等であるはずないでしょ。

 徳川将軍に対して、幕藩体制の末端の貧乏旗本でも、そんなことを将軍に対して強要されなかった。支那の皇帝と朝鮮の王の格差がどれほどのものかお解りいただけますか。李氏朝鮮はそんなことを19世紀末までやっていたのだ。かわいそうに。

 かたや日本はというと、遡ること13世紀、聖徳太子が隋の皇帝に対して「対等宣言」をして、隋帝を激怒させている。それ以来、日本は中華帝国につねに対等で国を造ってきた。

 でも、朝鮮はそんなことはできない。「対等だ」などと言おうものなら、即刻滅ぼされてしまう。陸続きというものは、そういう悲劇を伴うものなのである。

 

 それでも朝鮮は、支那帝国には媚びながら、東の島国の日本を空想で蔑みながら、自らのプライドを保ってきた。ところが16世紀に、豊臣秀吉というとんでもない武将が現われて、あっという間に朝鮮半島を席巻してしまった。まぁ明に助けてもらったわけだけれども、ホッとしているのもつかの間で、また19世紀になって、見下していた東方の蛮族が、こともあろうに自分たちが尊敬してやまない中華帝国を戦争で負かしてしまった。これにはあっと驚くタメゴローで、お蔭で、帝国の頚木から解き放たれるのだが、なにしろ自立できない子供のようなもので、今度は日本にくっついてきたからたまらない。ここで、賢明なる伊藤博文は「併合」に反対をするのだが、とち狂った朝鮮人暴徒に暗殺をされてしまった。

 偉人のいない朝鮮は、この暴徒かテロリストか判然としない、それも自国を結果として「併合」という悲劇(ただし朝鮮人がそう思っているだけの悲劇)に誘った人物を、歴史上の偉人としてあがめることになる。まぁ他にいないのだから、選択肢はないのだけれど、この惨状はいかばかりであろうか。

 

 イギリスのラグビーチームの靖国参拝から随分と飛躍してしまったが、付き合うならどっちがいいと思いますか(笑)。