聖橋

 先週、長野県の飯田に出張していた。
 今、飯田市天竜峡の再生に力を入れている。かつては年間60万人が訪れた一大観光地だったが、最近では盛時の3分の1にまで落ちこんで見る影もない。このことに危機感をもった飯田市長は、大分県豊後高田を再生した仕事人を呼び寄せて、「天龍峡百年再生プロジェクト」に着手した。
 その状況を見たいということもあって、JR飯田線天竜峡駅の南にある「天龍峡百年再生館」を訪れた。この建物の2階が展示室で、そこには数十枚の古写真が引き伸ばされ展示してあった。ぐるっと見て回ると天龍峡の歴史が理解できるようになっている。
 天竜駅の東に橋が掛かっている。姑射橋(こやきょう)という鉄橋だ。現在の橋は4代目で、3代目の石の姑射橋の白黒写真が展示してあった。その時である。くらくらと眩暈がした。
「ワシャはその橋を知っている。知っているどころか渡ったこともある。肉眼で、まったく写真と同じアングルでその橋を見ている」
 内なる声がそう叫んでいる。デジャ・ビュだった。
 その写真はもちろんワシャの生まれる前のもので、ワシャは天竜峡を2度訪れたが、その時、姑射橋はすでに4代目の鉄橋に掛け替わっており、その橋を見ているわけはないし、渡れるはずもない。しかし、ワシャの脳は、「その橋を肉眼で見て渡ったこともある」と主張する。どういうことやねん。ワシャのあんまり優秀ではない脳味噌は「渡ったのはつい最近じゃ!」と譲らない。
「ええ加減にせんかい。ワシャはここに来るのは3回目だし、この写真の橋は昭和の初期に掛かっていた橋だ。渡れるわけがなかろう!」
 ワシャがへんな顔をして3代目の石の姑射橋ばかりを眺めているので、案内人の方が声をかけてきた。
ワルシャワさん、最近、東京に行きませんでしたか」
「はい、ワシャは先週、東京さ行ってきましたぞ」
「湯島辺りに行かれましたよね」
「なんでそのことをおぬしが知っているのじゃ、さては伊賀者?」
「3代目の橋は湯島聖堂の南に掛かる聖橋がモデルなんですよ」
 あああ……そうだ、この橋は東京湯島の「聖橋」そのものではあ〜りませんか。先週、渡ったばっかり見たばっかりだから覚えていたんですな。 あーよかった。謎が解けてスッキリしたので「天龍峡百年再生館」を失礼したのだった。めでたしめでたし。