日教組は教育のがんか?その2

(上から読んでね)
 日教組委員長に長期に渡って君臨した槇枝元文という男がいる。彼が某所でこんな発言をしている。
「いやあ、日本の教育問題もいろいろあるけれども、北朝鮮のようにやればいいんですよね」
 日本の教育の――組合とはいえ――トップの発言がこれほど不用意でいいだろうか。でもね、これは一概に槇枝委員長を責めるわけにもいかない。当時、日教組には「日本教職員チュチェ思想研究会」なるものがあって、真剣に北朝鮮の「チュチェ思想」を拝んでいたのだから恐ろしい。まぁ、上部団体の今はなき社会党がどっぷりと北朝鮮に染まっていたのだから仕方がないといえば仕方がないわさ。そんなことをしているから、社会党はぶっ壊れてしまって、いまはその残骸である社民党比例区で細々と生き残っている体たらくである。しかし、上部団体はなくとも、組織率が落ちようとも、日教組の活動家たちは元気だ。国旗に唾を吐きかけ国歌を冒涜するよう、子供たちに刷り込むことを日々怠らない。ご苦労なこって。
 日教組は、1951年1月の中央委員会で「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」というスローガンを採択した。しかし、日教組社会党イデオロギーの支柱であったマルクス経済学者の向坂逸郎九大教授がこんなことを言っている。
社会党憲法改正絶対反対で、九条護持である。しかし、日本が社会主義国になれば、そのときは軍備をやってもよろしい」
 おいお〜い、教え子は戦場に送らないんじゃないんですかー。社会主義全体国家になったら軍備拡張が許されちゃって、教え子たちを再び戦場に駆り出しちゃうんですね。
 中山国交相の発言は確かに不用意だった。しかし、彼が日教組を嫌悪するのには理由があるのだ。そのことを踏まえた上で是非を問いたい。