田原市恋路ヶ浜

 土曜日の夕方に東海地方で石原良純の「発見!わくわくMYTOWN」という番組が流れている。自治体を訪問して、そこの名所や名物を紹介するというよくある番組だ。昨日は田原市だった。
 田原市平成の大合併渥美町赤羽根町田原町の3つが合併して出来上がった。人口6.6万人、面積180平方キロ、渥美半島にある自治体である。風景として有名なのは半島の最先端、恋路ヶ浜の長い砂浜だろう。
「名も知ら〜ぬ〜遠き島より流れ寄〜る椰子の実ひとつ」
 ここで「わくわく」の石原良純は「田原市田原市田原市……」と連発するが、それがしっくりとこない。やっぱりここは渥美半島、渥美の恋路ヶ浜なのだ。

 田原市の元となる「田原」は渥美半島渥美郡内の一郷村の名だった。起原を辿れば南北朝時代にこの地に勢力を伸ばしてきた戸田氏の私領名である。これに比し、「渥美」という郡名は古い。平城宮址出土木簡に「三河国渥美郡大壁郷」の海部首万呂が調(税金)として塩一斗を寄進したとあるから、南北朝からさらに600年は遡ることができる。
 それどころではない。「アツミ」という音は、アヅマ、イヅモ、イズミなどに通じ、チャム語(インドネシア系の種族語)では鼻、出っ張り、半島を意味する言葉なのじゃ。古事記ではアヅミは海神族のことであり、東南アジアに発した日本人の祖先が、椰子の実とともに黒潮にのって日本列島に流れついた証しのような地名なのである。まさに渥美半島に相応しい雄大な名前と言っていい。
 残念ながら中世に京都から流れてきたものが、蔵王山南麓の田んぼや原っぱを見て「田原」と名づけたような安直なものとはわけが違うのだ。

 平成の合併では、本筋から言えば市域の全域がかつてそう呼ばれていたように「渥美市」とすべきだった。渡辺崋山が出た田原藩の「田原」を残したいという気持ちも分からないではないが、「渥美市では、田原が渥美町に吸収合併されたように思われる」というような詰まらぬプライドを捨てて、歴史を踏まえた市名にしてもらいたかった。田原の恋路ヶ浜を見ていて、そんなことを思った。