地元の関係者や痴呆議員たちは些細な問題だというかもしれないが、歴史的にみると暴挙としかいいようのないことが、また行われた。
愛知県渥美半島に新しい市が誕生した。田原市と渥美町が合併して新たな「田原市」が発足する。これによって農業産出額全国1位、製造品出荷額は名古屋市に次いで県内3位となる。それはいい。
問題は市名である。旧渥美郡一帯をその市域とする新市はやはり「渥美市」でなければいけない。なぜか?それは「田原」という地名が渥美半島にある蔵王山南麓の集落名でしかないからである。その歴史もせいぜい平安中期以降のことであり、由来も渥美に入りこんだ修験者が名づけた程度の話だろう。
かたや「渥美」はどうかというと、これは古代より三河国の郡名であり、由来を問えば、歴史はさらに遡ることになる。司馬がその著書「街道をゆく」でこう書いている。
《古代日本に、漁労を専門とする民族がいた。「あづみ」がそれで、安曇・阿曇などの字を当てる。いまもかれらが居住した海浜に、地名としてのこっている。(中略)古代安曇族が漁労に使っていた舟は小さなもので、おそらくごく小さな、後世でいうてんま、はしけだったろう。安曇族においては、東アジアの沿岸は一つだったといえる。北は遼東半島沿岸から、朝鮮の黄海沿岸、古代「耽羅国」と呼ばれた済州島、北九州沿岸、瀬戸内海から琵琶湖などにまでひろがっていたかと思われる。》
この東アジア全体を覆う雄大な地名と「田圃の原っぱ」というチンケな風景名称とを比較して、目先のことや面子に囚われて後者に拘泥した関係者を笑いたい。健全な歴史認識を持っていれば、あるいはちょっと広い視野を有していれば「田圃の原っぱ」などという名前に固執しないと思うんだけどね。
「生まれる地名、消える地名」の著者今尾恵介氏は言う。
「地名が歴史の証人であり、また地点を特定する機能を長年にわたって保持すべきものと考えれば、歴史的地名を尊重する。」
「地名には県、郡、市町村、大字、小字といった階層があり、それぞれに守備範囲が異なる。だから地名の範囲を守る。」
また「こんな市名はもういらない!」の著者楠原祐介氏はこう言っている。
「郡ははるかな弥生期の共同体の名残である。故に古代以来の郡名を復活して使用しなければいけない。」
また、郷土から歴史が消える。バカのお蔭で・・・