今、永井龍男の『秋』を読んでいる。永井龍男といっても、昭和の前半に活躍した短編小説家、『限りなく透明に近いブルー』『エーゲ海に捧ぐ』という二つの受賞作をまったく認めなかった偏屈な選考委員程度の認識しかなかった。
でもね、学習院大学の中条教授が著書の中で「短編の名手」と評価していたので、早速、ネットで取り寄せたというわけだ。
ううむ……
確かに、名手だった。
文字を追うごとに、明暗がリアルに浮かんで来る。冒頭はこう始まる。
《「月見座頭」という狂言がある。》
この「月見座頭」が最後まで関わってくるのだが、この一語だけでも「明(月見)」と「暗(座頭)」が象徴的に組み合わされているんですね。そして「名月」「病死」「花火」「臨終」「秋祭」「彼岸花」「老松」「雨」「中天の満月」「霊園」「池に映る月」「墓所」「灯火」「黒々と彳(たたず)む葉鶏頭」「十三夜の月」などが、明滅しながら不気味にラストへと読者を誘っていく。
《靴の滑る位は些細なことで、ここからどこか、さらにどこかへ入って行けそうな気もしてきた。》
さて、主人公はどこへ行くのだろうか。
久々の極めの細かい小説だった。
中条教授は、永井龍男の他、石川淳『紫苑物語』、橋本治『桃尻物語』、深沢七郎『楢山節考』、村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』なども面白いと薦めている。もちろん、すべて入手済みだ。この土日で読もうと思っている。
でもね、そっちに行く前に「月見座頭」が気になって、日本古典文学全集『狂言集』を引っ張り出して読み始めてしまいました。はてさて、村上春樹まで読了できるかどうか、さらにどこかへ入って行きそうな気もしてきた。