『遼』届く

 司馬遼太郎記念館の会誌『遼』が届いた。今回の号には福田定一の中学校時代の作文「物干臺に立って」が掲載されている。恐るべし福田定一、中学生なのにすでに文章が司馬遼太郎だ。そして校友会誌に《希望は天上にあり、実行は脚下にあり 後生須らく実行の人たれ。》という片言が載っている。これが17歳の少年の書けるシロモノか。
 もう一つ、「私の司馬遼太郎体験」の項で、元文春の編集者の中井勝さんが寄稿している「司馬邸のある小駅」という文章がよかった。
「そうか。きみは生駒の子か」
 初対面の中井さんが、生駒生まれであることを告げると、司馬さんがそう言った。この一言で二人の間の垣根が取り払われた。若い編集者との共通点を見つけ出した司馬さんのほっとした顔が脳裏に浮かんだ。

 先日、鷲田小彌太『昭和の思想家67人』(PHP新書)を買った。新書とはいえ663ページもある分厚いものだ。この67人の中に司馬遼太郎が入っている。当然と言えば当然だが、司馬遼太郎の著書を思想書として読んできたワシャとしては少しうれしい。
 久しぶりに司馬さんの本をひもといて「人間とは何か」ということを探求することにしよう。

 あ、そうそう、慢性の腰痛に業を煮やしたワルシャワはついに鍼を打つことにした。友達のパセリくんの紹介で、今日の午前中に治療を受ける。実はちょこっとビビっているのだった。