司馬遼太郎、立て続け

 今月、司馬遼太郎に関連する雑誌が2冊出た。
『週刊 司馬遼太郎8』(朝日新聞出版)
『「坂の上の雲」日本人の勇気』(文藝春秋
である。どちらも1年ぶりの発刊である。
 時を同じくして、司馬遼太郎記念館会誌『遼』が届いた。だから、机の上には、久々に司馬さん関連の雑誌が並んだ。

 今、石原慎太郎の『新・堕落論』(新潮新書)を読んでいる。これがなかなか面白い。石原慎太郎というと過激な右寄りな爺さんだと思うかもしれないが、なかなかどうして、しっかりと日本国を行く末を見つめている数少ない政治家である。石原と比べると、息子の伸晃を含めた中堅政治家では物足りないし、森喜朗加藤紘一では、そもそもモノが違う。
 そんなことはどうでもいい。『新・堕落論』の話である。この本を読んでいたら、突然、司馬さんが現れた。
「日本人というのは本当に厄介な国民やな。日本人にとっては、ある種の観念の方がそれに関わる現実よりもはるかに現実的なんやからなあ」
 そして石原はこう言う。
《司馬氏の指摘の通りで、多くの日本人にとって平和願望という理念、というよりも「センチメント」は感傷だけに修正、払拭するのが極めて難しい。(中略)平和がラブコールだけで達成されるなら安いものだが現実にはそういくはずはない。》
 司馬ファンとしては、期せずして文章の中で司馬さんの言や行動に接すると、これがうれしいものなんですね。
 この本、司馬さんの話の周辺も面白いが、全体として日本が落ち込んだ「堕落」について興味深い一冊なのでご一読をお薦めします。

 こんな感じで、今月はあちこちで司馬さんの声を聴いた。今月は仕事に追われて少々疲れていたが、これが一服の精力剤(笑)になった。

 さて、司馬遼太郎記念館会誌『遼』に、大阪新聞社長だった永田照海さんの思い出話が載っている。永田さんというのは、サンケイ新聞で司馬さんの1年先輩にあたる。その人が若かりし頃の司馬さんに昭和23年6月29日の福井地震の現場で遭遇したのだそうな。
 永田さんは大阪本社、司馬さんは京都支社だったので面識はなかった。ただ、サンケイ新聞の腕章をお互いに付けていたので、ていねいに名乗り合って、司馬さんの指示で分担を決めて取材に散ったという。
「君は県庁へ行って全体の被害を書く。ボクは町を歩いて町のネタを集めます。落ち合う場所は……」
 永田さんは司馬さんの第一印象を「手際の鮮やかな男」と言っている。
 これが司馬さんの話になると、やや趣を異にする。出会った二人を仕切ったのは永田さんのほうで「君は県版を主に書け。オレは社会部だから本版を書く」と指示をしたらしい。
これについて、司馬さんは「永田のやつ、本社風を吹かしよったんや」と話している。
仲のいいご両所ゆえの応酬だと思うが、今頃は、鬼籍で酒でも組みながら笑いあっておられることだろう。

日本国の内外の情勢は混沌としている。あるいは乱世と言ってもいいのかもしれない。こんな時代だからこそ、司馬さんの諫言をもう一度噛みしめなければならない。