出処進退

 昭和17年3月、京都大学を一人の若者が卒業した。そして内務省に入省し官僚としてのスタートをきる。13年後の昭和30年に石川県に事務方のトップである総務部長として迎えられた。中西陽一38歳の時のことである。その後、副知事を務め、昭和38年に46歳で3代目の石川県知事になった。それから中西は8期31年、総務部長から数えれば40年にわたり石川県政に君臨したのだ。この人、現職中に死んでいるので、まさに死ぬまで知事をした。
 10月22日の朝日新聞の社説にこうある。
《在任期間が長期になれば県政はマンネリ化しがちで、腐敗の危険性も高まる。それだけ知事の握る権力は絶大だからである。当選を重ね「王国」を築き、挙げ句に汚職で逮捕された知事もいた。》
 この汚職知事というのは、福島県知事だった佐藤栄佐久のことだ。5期18年福島県に君臨し、澱み腐っていった。
『歴代知事三〇〇人』(光文社新書)の著者八幡和郎は言う。
《多選についてだが、いろいろな事例を見ていると、全般的には弊害の方がより大きいように見うけられる。》

 知事にしても市長にしても政権が長期化すれば周辺を固めるブレーンはイエスマンばかりになってくる。周辺が「ギョイギョイギョイギョイ」言うものだから、つい首長は「おれって偉い人なんだ。特別の人なんだ」と錯覚してしまう。出はじめは精錬潔白で雄志を掲げていても、長く同じ場所に停滞し続ければ良貨も錆びよう。
 神奈川県の松沢知事はこのあたりのことをよく解っている。県条例で多選を禁じてしまったのだ。多選で独善主義に陥っているどこぞの首長は、松沢さんのこの鮮やかさを見習った方がいい。
 特に某国の独裁者になぞらえて揶揄されるようなトップはもう賞味期限が切れていると言っていいだろう。人の上に立つものは出処進退だけは誤りたくないものだ。