五木寛之

 先日、五木寛之がうちの町にやって来た。愛知県の草深い田舎では、なかなか文化人にお目にかかれない。だから、いそいそと講演会に出掛けた。
 いやー、生の五木さんを拝見しましたが、73歳にはまったく見えない。相変わらずダンディだ。ボリュームのあるシルバーグレーの長髪を後に撫でつけて、空色のボタンダウンに濃い青のジャケットを羽織っている。声の色合いも若々しい。いい感じに歳を重ねられたようだ。
 講演の内容はいま一つだった。『大河の一滴』、『運命の足音』、『他力』、『天命』などで語られていた内容をなぞっているだけで、目新しいものはなかった。
大河の一滴』からは「心が萎えるということ」についてを持ってきて、親鸞が言ったと言う「酒はこれ忘憂の名あり」のくだりに触れる。『運命の足音』からは「闇夜の山道」の話だ。人生は一寸先も見えない崖沿いの山道を重い荷物を背負って手探りで怯えつつ半歩一歩と進むようなものだと説く。このたとえ話は五木さんのあちこちの本に散見され、十八番の話と言っていい。『他力』からは「マイナス思考も大切だ」という話から「自殺者」の急増というエピソードにつないでいった。すべて、五木さんの著書の中で語られていることばかりなので新鮮さに欠け、途中で眠ってしまったわい。多分、同じ話を全国津々浦々でしているんだろうなぁ。
 それでもね、久しぶりに五木さんの著書を開いてみる切っ掛けにはなったので無駄ではなかった。
 五木さんの本はどれもが暗い。落ちこんだ時に読むと更に落ちこんでしまう。ずいぶん昔にひどく憂鬱な時期があって、その時に書店で『大河の一滴』を見つけた。帯に書いてあった「人生は苦しみと絶望の連続だ。地獄は今ここにある」というフレーズに引っ掛かり、すぐに購入して家に帰って貪り読んだ。しかし、そのあまりの暗さに、読了後、憂鬱は更に悪化したことを記憶している。
 今回も講演を聴き、家に戻って五木本を何冊か眺めているうちに、だんだん気分が落ちこんできた。五木さんのことを書いていてもブルーになってくる。こりゃちとまずい。
 ということで、明るい話を締めにしておく。
 五木さんのエッセイ『みみずくの散歩』(幻冬舎)の中に「読書の秋に悔いありて」という小品がある。ここでは五木さんの読書法が開陳されている。今、ワシャが実践しているトイレ読書、お風呂読書、通勤読書、食事中読書などは、みんなここで知った。そういう意味では五木さんは、ワシャの師と言うことになる。師の講演会で居眠りをするとは失礼なやつだ。