市ヶ谷散歩(続き)

 9月16日午前10時に二日酔いのワシャはホテルを出た。9月も半ばというのに日差しが厳しい。でも、せっかくの花のお江戸なので(といっても2週間ぶり)二日酔いは棚に上げて散策をするのじゃ。
 ワシャの泊ったホテルの南側は防衛省の広大な敷地が広がっている。元をたどれば尾張藩上屋敷だった。東に江戸城を見下ろす高台にあって、ここから尾張宗春は徳川吉宗を覗っていたに違いない。
 あ、そう言えば、15日の読書会の会場は戸山だった。あのあたり、都立戸山公園周辺は尾張藩下屋敷跡地である。今回は尾張藩づいている。ついでに紀尾井町中屋敷跡にも行ってみるか。
 明治の初め、東京のそこここには江戸期の雄藩の屋敷地が広く残されていた。当時の行政担当者はずいぶんと都市計画がやりやすかったろうと思う。
 それにしても市ヶ谷界隈は坂の多いところだ。中根坂を下り防衛省裏手を敷地に沿いながら左内坂を下りて行く。標高差はかなりありそうだ。外堀通りに出て、何も食べていないことに気がついたので、通り沿いのマックで軽く朝食。腹ごしらえをして、浄瑠璃坂を上って、昔、御徒や旗本屋敷が連なっていた辺りに侵入するも、もうその片鱗すらありまへんわなぁ。ただね、ワシャの脳味噌は二日酔いで痺れているので、金沢の武家屋敷を妄想しながら散歩できるんですな。そして、鰻坂、愛敬稲荷を経て、歌坂、逢坂を下って再び外堀通りに出る。外堀の緑を右手に見ながら神楽坂に差し掛かる。
 神楽坂をのぼる。善国寺を越えたところで、あ、そうそう、この細い路地を入ると、去年の11月に「喧嘩必勝法」講座を開催した日本出版会館のあるところだ。そこは曲がらずに、ワシャはそのまま直進し、横寺町の通りを左折する。このあたりはその名のとおり寺町になっている。尾崎紅葉の旧居跡を覗き、大久保通りに出る。焼餅坂を過ぎると、外苑東通りの交差点に出た。ううむ、今日は坂ばかりをあるいているのうな気がする。ま、いいか。
 そして本日の散策の主目的であるとある場所に向かうために、ワシャは外苑通りを右に曲がったのであった。(つづく)