エンジンの音轟々と

「隼は征く雲の果て〜」
 加藤隼戦闘隊の唄である。
 昨日、三重県伊勢市にある明野航空学校に行ってきた。実は加藤隼戦闘隊長の加藤建夫中佐はここで教官として勤務していたのだそうだ。今でも軍神加藤隊長は航空学校の一角に居所を与えられ、その勇姿を後進たちに見せている。

 さて、明野航空学校のことである。この学校、防災戦略上から見ると極めて重要な位置にある。伊勢湾、遠州灘に鼻を突き出す格好で志摩半島があって、鼻筋の真ん中あたりに56万平方mの敷地を持つ飛行場があるわけだ。ここに支点を置いて、半径100 kmの円を描くと、愛知、岐阜、三重の人口集中地区と静岡県浜松市までがすっぽりと収まる。新潟県中越沖地震では、群馬県相馬原の飛行場に全国からヘリコプターが集結した。そしてそこから被災地に救援部隊が展開した。東海・東南海地震では、まさにその役割を明野が担うことになる。
 自衛隊の持つヘリコプターにCH−47Jという機種がある。ずん胴で2つの回転翼を持つ輸送ヘリは100名の隊員を乗せ(実定員は58名)最大時速274kmで飛ぶ。ワシャの住む三河地方なら直線で40kmなので、10分とかからず飛来することが可能なのだ。併せて明野100 km圏には、中部国際空港小牧空港各務原空港、浜松空港の4つがあり、これらの航空ネットワークが東海、東南海地震発生の際に威力を発揮するとワシャは考えている。

 今回、運良くこのCH−47Jに搭乗する機会を得た。乗り心地は貨物車なので最高でしたぞ。とにかく機内ではどんな大声を張り上げても隣に坐っている人に声は届かない。もっぱら筆談するしか意思の疎通を図れない。もちろんトイレもなければ、空調もない。ないない尽くしだが、それでも高度450mから見下ろす志摩の海は台風一過の陽光にキラキラと輝いておりましたぞ。
 体験飛行は30分弱の短いものだったが、貴重な体験をした。