二流が国政を牛耳る時代

 幕末の時代を思い浮かべてもらいたい。あの時期、志士として奔走したのは2,000人ほどだったと言われている。2,000人の活動家が世界史的に見ても稀な無血革命(異論はあると思うけど)を断行して、欧米列強の侵攻を防ぎきった。
 この2,000人の中に一流の人間がどの程度いただろうか。いろいろな考え方があるだろうが、ワシャは100人程度だったと思っている。この100人の知識人がオピニオンリーダーとなって時代を動かした。
 島津斉彬佐久間象山藤田東湖吉田松陰横井小楠橋本左内武市瑞山西郷隆盛大久保利通坂本龍馬中岡慎太郎高杉晋作大村益次郎久坂玄瑞桂小五郎宮部鼎蔵……
 ううむ、人材が豊富だ。しかし、このメンバーは数人を除いて維新を迎えられなかったし、残りのメンバーも明治11年に皇居の西の清水谷坂で暗殺された大久保を末尾にして、皆、彼岸に旅立っている。この連中が10年代、20年代の明治に生き残っていれば、この時代はずいぶんと違った景色になっていただろう。
 以上のように一流の人物は、明治初期にほとんど絶滅した。その後の明治の日本を担ったのは一流の周りをうろついていた一.五流の人々だった。
 伊藤博文井上馨山県有朋、品川弥次郎、大隈重信西園寺公望後藤象二郎板垣退助陸奥宗光……
 この人たちは、トップグループと比べると少しばかり見劣りする。それでも今の政界の人材払底状況から見れば、うらやましいようなラインナップだよね。

 そして平成の政治家たちである。一.五流と比較してもずいぶん見劣りがする。国家国民のために身命を賭すなどと思っている人物にお目にかかったことがない。わずかな銭をくすねるために御託ばっかりならべる政治屋など反吐がでるわい。
 今回の参議院議員選挙に出馬している候補者も、まともな人材は少ない。名声ばかりを求めるバカが多いのにはあきれてしまう。人気投票的間接民主制の限界だろうか。

 実は、在野には龍馬や松陰に匹敵するような一流の人物があまた存在している。しかし、彼らは永田町という小さな村社会の中で権力争いをする愚かさを知っているから、くだらないコップの中にあえて入ろうとはしないのである。
 島田洋七という漫才師がいる。彼は今回の参議院選挙に際し、某政党から出馬要請があった。それを洋七は「わてに政治ができまっかいな、あんた、漫才できまへんやろ。それと同じや」と言って断わったそうだ。さすが洋七、モッコに乗せられ、のこのこ出馬する阿呆どもよりずいぶんと上等だ。