犬の名前と狸汁 その4

 K先生のお宅を辞し、JR枇杷島駅に向かう。道すがら、香具師の皆さんが屋台の後片付けをしている。酔っ払いのおっさんが若いテキヤに声をかけたりするんだが、忙しいんでしょうね。適当にあしらわれてしまった。サミシー!
 そのうち祭の区域から外れ、人通りもすっかり途絶えた。ワシャは暗い路地を一人とぼとぼと歩いていた。後に気配を感じて振り返ると暗闇に二つの目が光っているではありませんか。狸だった。ワシャが狸汁にするといったので、抗議に現れたんだろうか。しめしめ、飛んで火にいる夏の虫、捕まえて本当に狸汁にしてやる。隙をみて「ワッ」と飛びかかったのだが、敵もさるもの引っかくもの、煙を立てて「ドロン」と消えおった。さすが狸め、こしゃくな真似をするもんじゃわい。ま、畜生相手に憤慨していても仕方ので駅に急いだのだ。

 坂を登ると、お濠端に出た。お濠沿いに柳が植わっており、1本の柳の下で長い髪の若い娘がひとりでうずくまって、さめざめと泣いているではあ〜りませんか。身投げでもするんじゃないでしょうな。心配になったワシャは声をかけたのじゃ。
「お女中、なにかお困りごとでもあるのではごわはんか。よかったらおいどんに話してたもンせ」
 それでもその娘はワシャに細い背を向けたまま泣いている。薩摩弁で言ったのがいけなかった。ここは、まったりとした伊予弁にしよう。
「夜も遅いけれ、こんなところで若い娘が泣いていてはいかんぞなもし」
 正解だ。娘はくるりとこっちを向いた。娘の顔を見ようと思って、手に持っていた提灯をかざすと、娘は片手でつるりと顔をなでる。ずいぶんと滑りのいい顔なのね。よ〜く見れば顔には目も鼻も口もなかった。
「うぎゃぁぁぁ!」
 ワシャは坂道をこけつまろびつ駆け下りて、ひたすら走ってようやく進行方向に灯りを認めた。道端に屋台を出している夜泣き蕎麦の提灯だった……
「うぎゃぁぁぁ!」

 ワシャはいつになったら家に帰れるのだろうか。(おしまい)