『100人のバカ』を読んでいて感じることがある。どうも佐高さんの臭いが希薄なのだ。
「西部邁は別れた女の悪口を言うサイテーの男である」
「露骨で、下品で、ゲスなヤッコダコ」
「呉智英という小汚い青蝿」
「切っても切ってもミミズのようにしぶとく生き残る猪瀬直樹」
といったような「おまえのカーチャン出ベソ」的発言が『100人のバカ』には少ない。
と、思ったら、あとがきに《7人のライターが手分けして1人1本を匿名で書くという方法をとった。》と書いてある。道理で品がいいと思った。つまり全237ページの中で、佐高さんが関与しているのは、「はじめに」の3ページと対談部分78ページで、対談の半分は岡留さんが話しているわけだから39ページということになる。全体の17%しか佐高節がないんだから、そりゃぁ臭いませんわなぁ。
さてと、3日も『100人のバカ』だったので飽きてきた。そろそろ結論に持っていきたい。
基本的に『100人のバカ』はいい本である。まっとうに生きていこうとするなら、この書に採り上げられた方々(一部の政治家、宗教家、芸能人などは除く)の書籍なり言説を吟味すればいい。『筆刀直評』(毎日新聞社)や『タレント文化人100人斬り』(現代教養文庫)などでも、佐高さんにぼろくそに書かれている人物の中に本物はいる。佐高さんは逆説的な意味において賢者を指し示しているのだ。そして非難されている人の著書を何冊かあたった後に、この本を読むならば「大爆笑本」といってもいいだろう。
かつて佐高さんは日垣さんと論戦をした。「人から聞いたことや1冊の本の情報だけを鵜呑みにして、検証作業をしない」佐高さんが「仮説を立てては検証し、それを何十回何百回と積み重ね細分化していって物事を自分なりに多面的に理解してゆく」日垣さんに勝てるわけがない。だから日垣さんの『辛口評論家の正体』という文章で完膚なきまでに叩きのめされリングから転げ落ちたと思っていた。しかし、佐高さん、しぶとい。コーナーポストにぶら下がって生きておられたんですな。ご健在でなによりですが、気をつけないとまたスコンポコンにガッキィ連打をあびますよ。もうお年なんだから無理をしないでね。