矢部正秋『プロ弁護士の思考術』(PHP新書)を読み終わった。この中で著者はしきりに「オプション」ということを言っている。
小泉首相がまさにそうだったが、0か100か、やるかやらないか、正か邪か、二分法はわかりやすい。わかりやすいがゆえに危険で、社会は極端な振幅を見せる。具体的な条件・手順を提示せずにイエスかノーを迫るというのは実にいかがわしいやり方だ。この二分法のワナにはまらないために多様なオプションを考えておくことが大切だと著者は説く。
この本を読んでいて、少し前に読んでいた本のことが頭に浮かんだ。白洲次郎『プリンシプルのない日本』(新潮文庫)である。書庫(物置ともいう)から出してきて、再度読んでみた。
《先日の日比[日本―フィリピン]賠償会議もいい例だ。こちら側は調印する支度で全権団を組織して出掛けて行ったのだが、アッケなく蹴とばされて引揚げで幕となった。》
調印のオプションしか持たずにマニラまで出かけていった全権団を、白洲は嗤っている。
《こんなことを勘定に入れずにノコノコ比国くんだりまで全権団を送ったのは少し御目出度過ぎる。(中略)全権団の人々にまでこんな甘い考え方をもたすことに成功した外務省幹部の説得力は実に大したもので意外でもあった。》
と外務省の強かさを皮肉っている。
このくだりを読んで、佐藤優『獄中記』(岩波書店)のこんなフレーズを思い出した。
《かつて外務省の幹部たちは「浮くも沈むも鈴木大臣と一緒」といつも言っていました。土下座して、無理なお願いを鈴木代議士に対して行う幹部たちの姿を私は何度も見ています。》
でも、鈴木宗男さんと一緒に沈んだのは佐藤さんだけで、外務省の幹部連はのうのうと生き残っているんですな。
《いわばリスク回避装置として鈴木代議士を用い、成功した場合は、主たる成果は外務省が取り、一部を鈴木代議士に分配し、失敗した場合にはそのリスクを鈴木代議士が全面的に負担するという、極めて特殊な政官関係が出来ていた》
特殊な関係は一方的にできていたんですね。もちろん鈴木さんはそんなことは知りません。
ううむ、ある意味で外務官僚どもは組織防衛に関しては、いろいろなオプションを持っていたということですな。