能登半島地震 その3

 ざっと能登半島地震について振り返ってみたい。
 発生は先月の25日(日)午前9時42分頃である。震源地は門前町の沖合い20キロほどの海底だ。マグニチュードは6.9、中越地震が6.8だったから、直下で起きていれば震度7を免れなかっただろう。最大震度は七尾市輪島市穴水町で6強を記録しているが、平成の大合併で市域が広くなって、七尾とか輪島という市名だけでは具体的な位置をイメージしづらくなってしまった。能登半島を馬の首に喩えるとするなら、頭蓋の付け根(第1頚椎)あたりを中心にした半径10キロほどの範囲(旧門前町、旧中島町穴水町)に被害が集中している。ここから20キロほど離れている和倉温泉七尾市街は一部に屋根の損傷が見られる程度で、少なくとも市民生活は正常に戻っているという印象が強かった。

 今回は、能登半島の入口の羽咋市震度5強)から入り、中能登町震度6弱)で建物の立ち入り調査をする。その後、中島町震度6強)を経て、穴水町災害対策本部、ボランティアセンターに支援物資を運び込む。翌日は、志賀町震度6弱)を海岸沿いに北上しながら被害確認をして、今回の主たる目的地である門前町震度6強)に入って、ボランティアセンターのある道下集落周辺と総持寺周辺の市街地を調査をする。その調査が終了した後、和倉温泉の状況を見て、七尾市街の被災状況を確認するところまでいきたいと考えている。
 同行してくれる案内役のNPOの人は「かなりハードなスケジュールですね」と笑っていたが、「なんとかなるでしょう」と快諾してくれたのだった。
 調査隊のメンバーは、地震雷火事台風が趣味のワシャと、県と市の双方で防災行政に携わった経験を持つS氏、いくつもの災害現場でボランティア活動を行ってきた地元NPOの役員のY氏、同じNPOの職員で、中能登町に実家があるO氏の4人である。
 4人を乗せたデリカの4WDは、東名、名神北陸自動車道歴史街道をひた走って能登に行くわけである。車窓の風景や地名には戦国武将らに縁のあるものが多い。長久手、小牧、岩倉、岐阜、関ヶ原伊吹山、長浜、浅井、賤ケ岳、余呉敦賀、越前、永平寺、丸岡、尼御前……ううむ、それぞれに、語りたいことはいっぱいあるんじゃが、今回は目をつむって北上することにするのだった。(しつこいけど地震の話はまだ続きます)