『シェーン』という映画がある。遠くアメリカン・ロッキーを望むワイオミングの平原に一人のガンマンが流れつき、村人たちを追い出そうとしている悪漢を退治して、山の彼方へと去っていく。ジョーイ少年の「シェイン カンバーク!」の呼び声が心に染みとおる「別れ」の名作である。
昨日の新聞に「富良野塾」が閉鎖されるという記事があった。北海道富良野市で脚本家の倉本聰さんが、若手の脚本家や俳優を育てるために私財を投げ打って設立した養成所である。開塾は昭和59年だった。
ワシャが中学1年の時、田舎の映画館で『シェーン』を観た。お蔭で映画がたまらなく好きになった。よくある話だが、仲間と映画研修会をつくって暇さえあれば映画を観に行ったり、映画談義に花を咲かせたものじゃ。そんな映画小僧が、「映画製作に携われる仕事につきたい」と思うのは流れとしては当然だった。しかし、この時代、不況は慢性化しており、映画産業もどん底の状態である。就職活動をしても映画関連の仕事なんてなかなかなかった。結局、地元の手堅い就職先を選んでしまったというお粗末。
就職して、その2年後に結婚して、周囲が落ち着いて動きはじめた頃、「富良野塾」の開塾を聞いた。仕事も家庭も捨てて北海道に馳せ参じたかったが、ワシャは小さな安定を手放すことができなかったんですな。
倉本さんの手によるドラマ『北の国から』は昭和56年に始まっている。純と蛍という兄妹の成長を描く大河ドラマだ。足掛け21年に及ぶドラマの第4部『初恋』にこんなラストシーンがある。
北海道から東京に向かう長距離トラックに中学を卒業した純が便乗させてもらうことになった。富良野がどうしても好きになれなかった純が東京の叔母を頼って上京するためである。この時に父親は運転手に封筒に入った2万円をお礼として渡した。
トラックが走り出してこの運転手が純に言う。
運転手「金だ。いらんというのにおやじが置いていった。しまっておけ」
純「あ、いやそれは」
運転手「いいから、お前が記念にとっとけ」
純「いえ、あの」
運転手「抜いてみな。ピン札に泥がついている。お前のおやじの手についていた泥だろう。オラは受けとれん。お前の宝にしろ。貴重なピン札だ。一生とっとけ」
恐る恐る封筒をとり、中からソッと札を抜き出す。
二枚のピン札。
ま新しい泥がついている。純の目からドッと涙が吹き出す。
別離の季節にそんな名作2篇を思い出した。