倉本さん(その2)

 倉本さんとのご縁の話で大回りをしている。一昨日の日記と少し重複するがご容赦を。

 2時間の劇は感動のラストを迎えた。会場にはすすり泣く声があふれた。ワシャも涙ぐんでいる。ここまではワシャも観客と同じ空間の中に身を置いていた。
 拍手は鳴り止まない。カーテンコールが始まった。舞台に灯が入り、出演者たちが現れる。幕が下りる。拍手は続く。2回目のカーテンコールである。幕が上がると、出演者がずらりと並んでいる。下手から倉本さんが突然現れた。ご高齢であることなどを考えると、そんなことはなかろうと多寡をくくっていた。
 しかし倉本さんはそこにいる。勝手に師だと思いこんでいる阿呆の目の前に立っておられる。倉本さんを見た瞬間に、感極まってしまった。何かに打たれたと言ってもいい。ワシャは周囲に憚りもせず泣き出した。なんなんだ、この感情の高ぶりは……。自分で自分の気持ちがよく理解できない。いい年をしたオッサンが泣いているんじゃないぞ。
 カーテンは閉まった。すべての舞台が終わった。しかし、ワシャはしばらく席から立ち上がることができなかった。
 清掃員が入ってきて清掃が始まる。ワシャは友だちの手を借りるようにして、最後の4人目でホールを出た。2階のトイレに行って顔を洗った。トイレ前にソファーがあったので、そこで息を就く。生の倉本さんを見ることが、これほどの感動だとは……。そのことに少々驚いていた。
5分くらい坐っていただろうか。ようやく落ち着いたので、2階のロビーに出ると、長い行列ができている。およよ、倉本さんのサイン会が始まっているではあ〜りませんか。トイレ前で休憩している場合ではなかった。
 急ぎ行列に並ぼうと思ったのだが、2階から1階に降りても列は続いて、ほぼ出口あたりに最後尾があった。どうだろう150人ではきかないのではないか。ワシャは行列がなによりも嫌いな者である。でも、こればっかりは自分の主義を変えざるを得ない。どうしても倉本さんのサインが欲しい!
 それから延々と並びましたよ。見ていると倉本さんに馴れ馴れしく話しかけるオバサンや、何冊もサインをねだるオッサンとかがいて、時間がかかることこの上ない。それでも行列は徐々に短くなり、ようやく先が見えてきた。倉本さんは、すぐそこにいる。ワシャは花粉よけのマスクを外し、ジャケットのボタンをはめて、居ずまいを正した。ついにワシャの番がきた。倉本さんの前に立つ。敬礼をして「お願いします」と、今日買ったばかりの「屋根」の台本を差し出す。倉本さんはそれを手にとって裏表紙にサラサラとサインをする。そこから記憶が曖昧なのだけれど、本を受け取ってからだったか、その前だったか、倉本さんが右手を差し出してくれた。ワシャはその手を両手で押し頂いて、また深く礼をしたのである。
 振り返って、後方に友だちの顔を見つけた瞬間に、またどっと涙があふれた。「うえ〜ん」って泣いていたと思う。倉本さんの周りにいたスタッフは「へんなオッサンやなぁ」と思ったことだろう。
 ええい、それぐらい複雑で屈折したいろいろな思いがあるんじゃい!

 ワシャは小さな感動をたくさんするほうである。些細なことにも感動しようと心掛けてもいる。しかし、今回は想定外の感動だったなぁ。自分にとって倉本聰さんに会うことがこれほど大きなことだったとは……意外だった。
 作家の手にしては、分厚くて暖かい手だった。想像していた通りの力強い手だった。著作が80冊、富良野塾の季刊誌「カムイミンタラ」が多数、シナリオ作家協会発行のテキスト1冊。もう一度読み直してみようと思っている。