『前略おふくろ様』の中で花板の秀次(梅宮辰夫)がサブ(萩原健一)にこんなことを言った。
「昔、ある人がオレに言ったよ。法律に背くのは恐くない、けど、神様だけには背きたくない」
この言葉には前段がある。秀次のヤクザだったころの友だちが人を刺して逃亡していた。警察は男気のある秀次を頼ってくる可能性が高いと踏んで、秀次に「連絡があったら必ず警察に届けるように」と釘をさしていた。
恐怖の海ちゃん(桃井かおり)に居座られアパートを追い出されたサブは秀次のところに転がりこんでいたのだが、深夜、電話のベルがなった。しかし秀次は電話に出なかった。その直後に、冒頭のセリフが発せられるわけだ。
秀次は自分を頼ってきた仲間を、それが法に触れようとも助けたいと思ったのだろう。しかし、ヤクザ者を救うために、今、お世話になっている料亭「分田上」の人々に迷惑をかけるような真似はできない。苦渋の末、秀次は動かなかった。
男だねェ、村井秀次。
今や秀次のような男は減ってきた。その代わりクズのような男が増殖している。愛知県尾張旭市で造成地から、現金5000万円が掘り出された。この5000万円の持ち主として数人が名乗りを上げているそうだ。え、数人?5000万円は一つのプラスチックケースに入っていたそうだから、所有者はどう見ても1人だろう。ということは残りの4人はペテン師ということだわさ。
この4人、どういう神経で「私が所有者でござい」と言っているのだろう。恥という概念がないのだろうか。自分にすら嘘をついて、それでいいのか。それもサ、秀次のように苦渋するわけでもなく、いけしゃあしゃあとテレビカメラに向かって「わしのだ」とうそぶく。理性も気概も糞もない人種が蔓延り出している。
《人間の行動を決定する要素として、欲望、理性、気概の三つがある。水が飲みたいとおもえば、飲む。これが欲望の行動である。だが、毒が入っているとわかれば、飲まない。これが理性の行動である。だが、毒が入っていても、人間としての誇りを失わないために、飲むこともありうる。これが気概の行動である。》
司馬遼太郎の言葉である。司馬さんは欲のタガが外れた愚か者を最も嫌悪した。5000万円に手を挙げたバカどもや、500万円も水を飲むバカ大臣のことだ。